母親が家庭での本人の訴えを聞き、連日のようにいじめ解消を依頼する電話が掛かってきた。やや広めの職員室に校長の席もあり、その両隣に二人の副校長が座っていた。電話の内容は筒抜けで、その後、副校長と対策を練る話し声も十分に聞き取れていた。

当初は、いじめの防止対策を図る手立ての会話が中心だったが、なかなか解消へとは向かわない。それでも連日のように電話が入るので、嫌気がさしてきてしまったのだろう、母親への批判的な言葉ばかりが聞かれるようになっていった。

こうしたケースでは「いじめなんて、そうそう簡単に解消するものではない」「いじめられている本人自身にも問題はある」など、語りがずらされていくことはよくあることで、陰湿化し、見えにくくなっていくいじめへの対応以上にやっかいな問題となる。

学校の電話対応において、「いかに短く切るか」という言葉が飛び交うようになり、あからさまに面倒くさいという様子が窺えるようになった。

それが母親にも感じ取られたのだろう、今度は学校の対応の拙さを教育委員会に訴えた。

島の重鎮でもある教育長が自ら対応に乗り出したようだったが、それは母親の電話攻勢を鎮圧するような働きかけと思われるような内容だった。

こちらも連日作戦会議が電話でやり取りされていたが、なかなか手に取るように伝わるとまではいかなかった。その作戦のかいがあってか、母親の電話攻勢はほとんどなくなり、また、教育委員会によっても抑え込まれたのか、一時期は静かになった。

しかし、収まりがつかない様子で、保護者会の席で「うちの子がいじめられています。何とかしてください!」と訴える一幕もあった。

そうしたことを繰り返しながら、無力感に苛まれただろう母親が沈鬱な表情でいるのがいたたまれなくなっていた。

私はというと、校長と確執があり、むしろ管理職批判をする立ち位置にあったが、なかなか伝わらない。所属担当の学年も違っていたため、実際にどうするべきという対案を示せるほどの情報量があるわけでもない。

私もどうしたものかと無力感に苛まれていたと言えるかもしれない。