好奇心と科学技術

宿題が出て、教科書の記載内容を理解しようとする場合、教科書の記載内容に何の不快も感じなければ、理解しようとは思わない。興味が無く、好奇心が湧かない。いわゆる勉強に身が入らない状況だ。わからないことについて、不快を感じることが、理解への第一歩。

わからないことが何なのかが理解できたとする。その結果、なあ~んだそういうこと、でとりあえず終了となり、特に展開が無いことも多い。例えば、頭の上にリンゴが落ちて「痛っ、なんだ、リンゴか。」で終わる場合。しかしながら「なんだ、リンゴか。待てよ、これはもしかして引力かも。」となって近代科学の発展に繋がるような場合もある。──ニュートンとリンゴの話は作り話という説あり。

もちろん、現状のままだと不便・困るので、何とか改善したい(必要は発明の母)ということもある。しかしながら、必要性とは直接関係しない、純粋な強い好奇心が無かったら、科学技術がこれほど発展することはなかっただろう。

科学技術は人間の能力増強・機能拡張に貢献している。では、好奇心により物事の仕組みを理解することが、能力増強・機能拡張に繋がる場合の、共通の本質は何か。それは予測とコントロールだ。物事の仕組みを理解し、予測とコントロールができるようになれば、現状を把握し、将来を予測しつつコントロールすることで、リスク(不快)の回避あるいは快の増大が可能になる。

思考していない時間

一日の中で(睡眠中は除く)、考えていない時間もある。いわゆる、ボーッとしている時。芝生の上に寝っ転がって、雲の動きを見て風の音を聞いているような場合(ほどなく寝てしまうが)。

では、何かに集中している時はどうか?確かに、集中している時に、何も考えていない時間が無いわけではない。例えば、音楽を聴いていて、ドキドキしながら音の流れに聴き入っている時。しかし、集中している時に発生する、何も考えていない時間は、長続きしない。

スポーツ選手がインタビューで「無心でやりました。」とコメントする場合があるが、これは、何も考えなかった、ということではなく、パフォーマンスに悪影響のあるような事は考えないようにして、練習で染みこませた身体の動きにできるだけ身を任せた、ということだろう。動作は意識せずに行いつつも、実際は、次の展開を考えたり、敢えて全くパフォーマンスと関係の無いことを考えたりしている時間が、殆どのはず。

意識のある(=起きている)時間の殆どは、何かしら考えている。