ひたすら英語に取り組む日々──「分かる授業」と「分からない授業」

年に3~4回、京都の皇先生のもとへ通いながら、いよいよもって京都大学大学院で「臨床教育学」を学びたいという意志は強まっていった。

ところが、英語が大の苦手。しかも皇先生曰く、「日本一難しい英語」とのこと。3回入試に落ちたところで、中学生と机を並べて学習塾に通ってみた。

英単語のテストが毎週あり、100単語を必死で覚えた。必死で覚えただけあって、毎回満点か、せいぜい1~2問間違えるくらいだった。

ところが、1週間が経って、次の100単語を覚えた頃には、前週覚えた100単語のうち4分の1から3分の1は忘れてしまっている、というような感覚だった。

30歳代半ばにしてこれほど記憶の定着力が落ちるのだなと、あらためて感じられていた。

そんなこんなで4回目の試験にも落ちた。そうそう何年も落ち続けるわけにはいかないと、今度は家庭教師を頼むことにした。

家庭教師センターで最初に紹介されたのは、C大学大学院法学研究科の博士課程の方だった。明るく元気な感じで、第一印象はとても良かった。

ところが、

「ノートの左ページに過去問を貼って、右ページの上側に分からない単語を書き出し、意味を調べて書いて。その下側に和訳を書くように」

と型にはまった感じ。それだけならまだ良かったが、いざ授業となると、何を言っているのか意味が分からず、全く頭に入ってこない。

「日本一難しい英語」は確かなようだったが、それにしても勉強にならない。人の良さそうな方だったので申しわけないとは思ったが、こちらも切羽詰まっていたので、センターに依頼して、別の家庭教師に替えてもらうことにした。

そして来られたのが、H大学大学院社会学研究科の博士課程の方だった。

とても謙虚な方で、過去問を読むなり、

「専門用語など、私には分かりづらいところもあって、教育的なことについては、小林さんの方が分かると思うので、一緒に解いていきましょう」

とのことだった。不思議と頼りないなどとは思わず、むしろとても好感がもてたことを覚えている。英語の教育専門書を探してきてくれて、それにも一緒に取り組んだ。

そうして1年弱の格闘の末、英語の力は確実についていると感じられはしたものの、残念ながら5回目の試験にも落ちてしまった。

いよいよここまでかと思った矢先、新年度4月に入ってから、定員割れのため若干名の募集で追試を行う、との知らせを受けた。最後の挑戦とばかりに受験すると、6回目にして奇跡的に合格した。

苦手の英語はというと、その長文読解の「教育愛」に関する文章を日本文で読んだことがあったかのようにすらすらと解け、まさに「教育的なことについては、小林さんの方が分かると思うので」の勉強法が生かされたと痛切に感じられた入試合格だった。

それにしても、学校で行われている授業でも、先の家庭教師のような型ばかりで分からない授業と、後の家庭教師のような分かる授業、身に成る授業というのがあるのだろうと、あらためて考えさせられたエピソードでもあった。