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音楽が終わったら

私は二度とピアノを弾くものかと思っていた。

過去を全て消してしまいたかった。それでも私には、あれだけ労力を注いだピアノというものにどこか未練があったのだろう。大人になって自分が窮地に立たされた時、失ったものを取り戻したいという想いから全財産をはたいてピアノを購入した。

しかし、なかなか弾く気にはなれなかった。ピアノを買ったことを後悔したりしたが、何故か売ることもできなかった。

ところがそんなある日。

「橋岡さん、グランドピアノを弾きに行きませんか? 魚津にグランドピアノを貸してくれる会館があるんですよ。一緒に行きましょうよ」

そう言ってくれる人に出逢ったのである。最初はなかなか素直にはなれなかったものの、気が付けば自宅のピアノで練習するようになっていた。いざ魚津の会館へ行くとなると、楽しみで仕方がなかった。

山の中にひっそりと建つ魚津の会館は、私にとってかけがえのない場所となった。毎週日曜日になるとその会館へ行き、猛練習をした。

そして、練習の合間に中森さんと色んな話をした。子供の頃の話や、家族のこと、仕事のこと、将来のこと、恋愛のこと。話をしているうちに私達には共通点があることがわかった。

それは、育った家庭環境に居場所がなかったということ。それを今まで誰もわかってくれなかったということ。私は中森さんを姉のように慕い、何でも相談する仲となった。

中森さんはいつか、私達が勤める会社が主催するイベントで、私が周りの人々からからかわれ馬鹿にされているのを見てこう言ってくれたのだ。

「橋岡さんは馬鹿なんかじゃない。純粋なんですよ」

こんなことを人前で言ってくれた人は、今まで一人もいなかった。ピアノの練習時間を共有することによって理解が深まったと思っているので、私はピアノを習わせてくれた母親に感謝しなければならない。

人生において無駄なことなど一つもない、そう思えた。全てのことに意味があると。

私が弾いたのはベートーヴェンとエリックサティ。あまりにも静かな魚津の会館で、音色と共に何かが舞い降りてくるのがわかった。しとしとと降る雪と共に、神様が迎えに来たのだ。

私はその一カ月後、楽譜を抱えてジムニーに乗って上京するのだった。