以上のように『研究室紀要』に論文を執筆して以来十年余り、道徳は教科化され、大きく様変わりしてきている。無論、教科化に反対したところで、その声は届かない。教科書『新しい道徳』(東京書籍)に記された題材をもとに、道徳を行っていくことになる。

ここ数年の道徳は「対話」を生みだそうとする意図を持った良い授業が多いように感じられる。各学年会で授業案が検討され、ワークシートを用いたグループワークが定着し、ある種の型が作られてきた。

現任校でも前任校でも行われているその手法は継続していくとして、どのように個々の評価をするのかが課題となってくるだろう。

ただし、「対話」の解釈が曖昧で、うまく共通理解が図られていないようにも感じられる。「アクティブラーニング」から移行した定義が主流で、「クリティカルシンキング(批判的思考)」を働かせなければならない、とする見解が多いようではある。

現任校では、「対立が大事だ」として、賛成派/反対派に分かれて「対話」することの重要性が説かれている。

そうした語りに、少なからず問題を感じているのは、全ての生徒が、「ハッキリとした自分の意見・考えを持ち、それを明確に発言・発信できなければならない」としている点だ。

明晰な判断力で確固たる意見・考えを持ち、「100%賛成である」、あるいは、「100%反対である」と対立する中で、「対話」が生まれるかのような語りなのである。

こんな時に思い出すのが、河合隼雄先生が『こころの処方箋』(新潮文庫 1998年)において記された「心のなかの勝負は51対49のことが多い」である。

「(前略)心のなかのことは、だいたい51対49くらいのところで勝負がついていることが多い(中略)51対49というと僅かの差である。しかし、多くの場合、底の方の対立は無意識のなかに沈んでしまい、意識されるところでは、2対0の勝負のように感じられている。サッカーの勝負だと、2対0なら完勝である。従って、意識的には片方が非情に強く主張されるのだが、その実はそれほど一方的ではないのである。」(70~73ページ)

「対立している両義的・多義的な事柄の、それぞれのメリット/デメリットを考え、どちらに転ぶのも良し」というくらいのスタンスで臨んだ方がいいのだろう。この「心のなかの勝負は51対49のことが多い」は、教師の心の持ちようとしても大事な指標と言える。

最終章で述べるところの「ハートフル、カウンセリングマインド」と「ゼロトレ、ノーイクスキュース」のような対立においても、この前提に立つと、その迷いに対する心構えができるのではないだろうか。