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一日鮮秋 二〇一九年十一月

戦況に利あらずといえども、南朝に対して忠義を尽くした正行に、義詮は武人として感じ入るものが大きかったのだろう。

あの世で、仲良く酒を酌み交わしている様子を想像した。

「正行兄者、今日は御呼び立てして申し訳ありません。秋の夜長に兄者と一献傾けたくなりましたもので」

「兄者と呼ぶのは、止めてもらえないか」

「アニキと呼びたいのですが、余りにも馴れ馴れし過ぎると思いまして」

「もう充分、馴れ馴れしいが。こんな高級な料亭でなくともよいのに」

「ここ、カードが使えますから。払いは幕府持ちです」

「幕府は大丈夫なのか。こうして会うのは、私は構わないが、足利一門からは厳しい目を向けられるのではないか」

「そういえば、先日オヤジが激怒しまして」

「無理もない。尊氏殿は、南朝方と会うのを歓迎しておられぬのだな」

「実は、兄者から頂いた大楠公(楠木正成のこと)のサイン色紙がオヤジに見つかりまして。ベッドの下にコッソリ隠していたのですが。オレも欲しかったとえらい怒りようで」

「そっちの怒りか」

「オヤジは幕府非公認の大楠公ファンクラブの会長でしたから。大楠公の家紋の菊水がプリントされたTシャツをファンクラブで作っていましたよ。出陣の際、甲冑の下にそのTシャツを着ていたくらいです。そこで、オヤジの分のサイン色紙、お願いできませんか」

「幕府は大丈夫なのか。サイン色紙については問題ない」

「オヤジも喜びます。ところで、南北朝時代の同窓会をやりませんか。後醍醐帝や新田さんも呼んで」

「悪くはないが、酒が進むと、また南朝と北朝に分かれて喧嘩にならないか心配だ。叔父御の直義殿は呼ばなくてもよいのか」

「直義叔父とは、オヤジが未だ不仲でして、欠席ということで。しかし、戦後六百三十年。未だに、遺恨を含む人がいますからね。オレの唯一の悔いは、兄者と共に幕府軍と戦えなかったことです」

「将軍が言うかッ!」

あれこれ想像してニヤニヤしていると、女房から他の観光客の迷惑になるからと注意される。