「だんだん名が売れてくると、フェラーラに共鳴する者や、弟子になりたいという者とか、取り巻きなどの輩が出てきませんでしたか?」「そういう者は自薦他薦に限らず、たくさんいたよ。しかし、ピエトロはますます人見知りが激しくなってね、やはりいつも寡黙なんだ。受賞の挨拶も相変わらず紋切り型で、絵の説明などしなかったし、弟子も一切とらなかった。

ピエトロに取り入ろうとする画商も大勢いたんだが、彼の絵は私のところの一社独占だからね。取り巻きもできなかったし、結果的に神秘性も保たれた。もっとも、彼は絵を描いているところを、絶対他人には見せなかったんだ。この私でさえ一度も見せてもらったことなどなかった。『あんたの絵には人に見せられない秘密の描き方があるのだろうね?』 そう尋ねると、ピエトロは笑いながらこう言ったものだ。『ええ、苦労を重ねて考え出した、人に見せられない秘密の描き方ですよ』

この一九七〇年はフェラーラにとって最高の凄い年になった。三月のヴェネツィアに続いて、四月のビクトリア・アルバート記念大賞受賞。そして終に六月には画家としての最高峰、英国ロイヤル・アカデミー絵画部門特別賞を受賞してしまった。まだ三十六歳の若さだった。

エリザベスさんもよくお分かりだと思うが、これは大変なことなのですよ。芸術界というのは、ある意味では最も保守的な業界だからね。名を成した芸術家たちは、皆、心底では急激な変革を恐れているんだ。やっと築き上げた自分の地位を崩されたくないからね。私がヴェネツィアの画廊で、偶然彼の絵と出合い、類まれな才能を発見して、はや八年が経っていた」

「芸術こそ最も創造性に富まなければいけないはずですのに。私もその驚くほど強固な保守的世界に違和感を覚えて、グラフィックの道を選んだのかもしれません」

エリザベスはそう言った。

「今でもそのように思っていらっしゃるのですか?」   

宗像がエリザベスに水を向けた。

「正直、まだ良く分かりませんわ。でも、私も若い頃とは違って、現実は現実として直視しなければいけないという気持ちも強くなっています」

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。