手の働き

手。人の手をしげしげと見つめると、まことによく出来ている作品だ、と心が動く。五本の指、それぞれの位置、長さのバランス、全体の形、等々。私は手に表れる、人の内面の感情を見るのが好きだ。醜い手の表情がないからかもしれない。

顔の表情は、ときとして抱きしめたいと思うほど、素晴らしい表情を作る。一方、正視に耐えられないくらい、意地の悪い表情や怒りの顔も作り出す。

その素材は、目、眉、口が主なものである。手と同じく五つの部位で作り出す。手の表す表情で一番多いものが、恥ずかしさ、落ち着かなさ、緊張感などであろう。

その次は断固たる決意。たとえば、こぶしを握りしめて「やるぞ」という意気込み、「絶対に負けないぞ」と頑張っている最中の表情であろうか。

手を打って、嬉しさを表現する人もいる。手をたたいて喜ぶ。反対に手を握って、悲しみ、辛さ、悔しさに耐えることもあるだろう。手は道具を操るばかりでなく、情緒面では、逆に手が道具となり、見えない感情を表すことができる。

手には手のひらと甲がある。普通の姿勢では、手のひらは体側に接して裏を向く。手相や健康情報があるのは手のひらで、そこにメッセージがあり重要だ。

手のひらが平らになるのも面白い。平らになるので、音を出すツールにもなる。長い拍手で敬意を表し、アンコールの意思表示もできる。三三七拍子で集まった人々の幸を祈念することも可能だ。

敬礼も重要な働きだ。手が曲線しか作れず、それで敬礼しなければならない、としたら、その場の空気感も違ってくる。直立不動の姿勢の中で手がまっすぐに直線に伸びていれば、直立不動の気は失敗なく、見ている人の側に伝わってくる。

敬礼、直立不動は、スポーツマン、警備員、自衛隊員でもなければ、普段の大人には縁のないポーズだが、見る側として共通の体験ができる。かくも魅力的な働きをたくさん持っている手である。

私にも見えない手があるが、これを「奥の手」と呼ぶ。自分だけが知っている一手である。