第一章 心の傷

予備校から帰って母と二人きりの夕食を食べ終わるころになると、毎晩のように玄関のチャイムが鳴り、モニター画面には祖母が写っている。居留守を使うわけにもいかずに招き入れると、リビングルームでは嫁姑バトルの幕が切って落とされることになる次第だ。

祖母の第一声はいつもこうである。

「もう、あなたたち夫婦は終わりよ。早く真一と別れて出て行ってくれない?」

すると、間髪を入れず、母もムキになって言い返す。

「それは出来ません。お義母様もご存知のように私はカトリック教徒ですので、離婚は許されていません」

「そうね。離婚しろとは言っていないわ。出て行けと言っているのよ」

「イヤです。何も悪くない私がなぜ出ていかなければならないのですか?」

「悪くないって? 大した言い草ね。真一は毎朝、あなたが朝ごはんを作ってくれないからと言って私のところに食べに来るようになって、変だなあと思っていたら、今度は別居したって言うじゃない。つまり、あなたは妻として失格ってことよ」

「え、それは違います。私ではなくて、真一さんが夫として失格なんです」

「何ですって? そんな言い分、私は絶対に認めない。とにかく夫婦としての二人は終わったんだから早くここから出ていきなさいよ!」

そこまで言われると、母もいよいよ父とこうなってしまった原因の核心に触れざるを得なくなる。それも嫌味ったらしく。

「つまり、お義母様は私が我慢してさえいればこうはならなかったって、そうおっしゃりたいの? 真一さんの浮気を、見て見ぬ振りしていろと? それはお義父様の血を受け継いでいるから、仕方がないってことでしょうか?」

「そうよ。そのとおりよ。恥ずかしながら私も、夫の浮気にはずっと目をつぶってきたわ。三人だったか四人だったか忘れてしまったけれど、取っ替え引っ替え愛人にしてずっと朝帰りが続いたって、私は我慢してきたの。開業医は世間体もあって、夫の方から私と離婚したいとは一言も言わなかったし……」

祖母の理屈は、男女平等教育が染み付いている母には理解しがたいことなのだろう。ここで母の決まり文句が出る。

「それって、そんな胸を張って自慢できることなのですか?」

「でもねえ、真一は親の私が言うのもなんだけど、夫よりはるかに見てくれもいいし、医者でその上不動産の賃貸収入までがっぽり入ってきてお金が有り余っているんだもの。第一、相手は商売女じゃない、愛人を囲うぐらい大目に見てあげてもイイんじゃないの?」

「一度や二度の軽い浮気と、愛人を囲うことは全く意味が違います!」

「同じよ。どれもみんな浮気って言うのよ」

よくいえば祖母は心が広い。とはいえ、商売女だろうが誰だろうが、一夫多妻制など認められていない日本では、法に触れるかはともかく倫理違反には違いない。憤慨した母は、さらに祖母を責めまくる。