第二章 救世主

小学校に入ると私の養育環境は思わぬ方向に変化する。

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やっと受験勉強から解放されて父のいない生活にも慣れ、祖母が母を追い出そうと二階に降りてくることもなくなった。これからは唯一の頼るべき存在である母と心穏やかに楽しく暮らせるはずだった。

それが、六十五歳になる母の父(祖父)の急病で叶わなくなってしまう。

都内に初雪が降った十二月の初め、名古屋の大学病院で祖父が勤務中に脳梗塞を発症して倒れた。

一命は取り留めたものの左半身不随の後遺症が残り、やむなく職を辞して自宅療養することになったため、母も月に一回は泊まりがけで実家に祖母の手伝いに行くこととなったのだ。

そんなとき私の世話をしてくれたのは叔母である。T芸術大学出身の叔母は、夫の生命保険と裕福な実家のおかげで全くお金に困っていなかった。

三階で週に二度小学生向けの絵画教室を開いてはいたものの、時間は有り余っていたと見えて、快く私の世話役を引き受けたそうだ。

いつも母が実家に泊まってくる期間は一週間ほどで、その間は叔母が私の食事から洗濯、車での学校の送り迎えまで、何でもやってくれた。

初めて二人きりで夕餉の食卓を囲んだとき、一瞬あの遠足のときの記憶が蘇ってきて、また喉が塞がってしまいそうな恐怖が押し寄せてきたけれど、叔母の笑顔を見ているうちにいつの間にかそれは癒されて、代わりに臆病な私の心にも不思議な安堵感が広がった。

それから次第に、母と一緒にいないと不安で仕方なかったことが遠い昔のことに感じられるようになり、笑顔の叔母と談笑しながら食事をすることが楽しくなっていった。

それは私が成長して、両親の別居のことも母が祖母を助けるために名古屋の実家へ帰らざるを得ないことも、自分には如何ともし難い現実として受け入れられたことの一つの証なのだろう。

つまり、予期せぬ祖父の病によって始まった母親離れは、私の人格形成にとって効果的に働いたのである。私は元々、母をイジメてばかりの祖母は嫌いだった。でも、叔母のことは好きだった。

美しさという点では、母も負けてはいないものの、タイプが違う。彫りの深い顔立ちでどこか冷たい感じの母に対して、パッチリ二重でエクボもできる叔母には人懐っこい雰囲気が漂っている。

一緒にいるだけで周りの人の心が和んでくるような不思議な魅力のある人なのだ。そんな素敵な叔母と二人きりでいられるなんて、偶然なこととはいえ、ものすごく幸せなことに思えてきた。

そう割り切ると不思議なもので、何かにつけてあれこれと細かく注意してくる神経質な母よりも、いつも笑顔を絶やさず私のしたいようにさせてくれる叔母と一緒のときの方が、むしろくつろいだ気分になれた。

食後二人してリビングルームのソファーでテレビを見ているとき、足を投げ出して横になり、叔母の膝に乗せた頭を優しく撫でてもらうのが心地良かった。

またあるときは、ちょっと甘えすぎかとは思ったが、お風呂も一緒に入って欲しいとおねだりをしてみた。そんなこと、母とは物心ついて以来なかったことなのに。

「哲ちゃん、甘えん坊ね。もう小学生の男の子なんだから、一人で入れるでしょうに」