李王垠殿下に、留学中に陸軍士官学校にお入りいただいていたのも、安全保障の重要性を理解していただき、すべては名目上韓国を独立国にしても、日本の防衛に重要である朝鮮半島での日本軍の駐留に、支障をきたさないためだったのです。

併合され、日本の植民地と誤解されることの多かった朝鮮半島を、日本自らの手によって基礎的な近代化を施したあとに、独立国韓国に戻す。

緊急時の軍の韓国内の移動・展開の許可を、皇帝より速やかに得るためにも、岳父になられる方子さまの父親、梨本宮守正王が陸軍士官学校の第7期生、李王垠殿下が第29期生という先輩後輩という関係もまた、韓国皇帝に日本の要望を断りにくくさせて、承諾していただくために有効なものとされていたそうです。

この前代未聞の事例をつくり、世界に示したあと、ここ朝鮮神宮を降りられた新皇帝に、京城駅にて待機させておいた特別列車にご乗車いただき、ご自身の国を視察していただく「巡幸」の段取りまで予定されていました。

龍山駅にて特別列車を準備。式典終了まで、そちらで待機させておくことで京城駅をふさがず、緊急時の軍用列車の通過を妨げずにできる手はずでした。

これにて「内鮮一体」が完成する。そのための重要な役割も持っていた施設だったのです。