これを興亜の旗とする

「新韓国の建国(維新の成功)をもってこれを興亜(明治維新を奇跡として終わらせず天皇陛下のもとで西欧に虐げられているアジアの解放発展を我ら日本がなすの意味)の旗とする」

これが、大多数の国民に伏せられたまま進行、東京の最上位の人たちと、満州、朝鮮の一部の官吏や特別任務に当たっていた人たちのみが共有していたものでした。

「興亜構想」は昭和に入ってから「大東亜共栄圏構想」と、さらに拡大される前のものであり、私の周りの父稔や伯母千枝子などの、戦後、京城から引き揚げてきた日本人の集まりのなかで、いくどとなく過去にあった思い出話として、話されていたものを繋げたものになります。 朝鮮神宮に祀られた天照大御神は女神(機織り姫)であり、須佐之男命は男神になります。ここにも、愛し合うものが一度別れて再び出会うという「七夕伝説」が隠されていました。

そして、「二柱一体(七夕伝説)」がそれぞれに隠された3つの施設を結ぶと、7月7日の夜空を飾る星座が現れるようになっていたのです。 この施設の建設時期に、詳細を知らない神道関係者が、檀君(須佐之男命と同一視されていた朝鮮半島の祖霊)を祀るべしという、はた迷惑な運動(朝鮮神宮祭神論争)を起こしますが、朝鮮総督府は、その提言を受け入れませんでした。 

檀君を祀ってしまえば、須佐之男命の末裔とみなされた新韓国皇帝が、長い階段を上り、永きにわたり離れていた愛し合うもの(天照大御神と須佐之男命)が、ここ、高天ヶ原にて再び一体になるという、感動すべき式典が台なしになるからでした。 また、国家事業であり、すべての事柄は東京(国)で決められていました。