朝鮮神宮写真では、南山の神殿は奥に造られているため見えませんが、特徴ある高さとそれを繋ぐ長く勾配のきつい階段が、戦後取り組まれている古代出雲大社復元模型と見比べると、似ていると思います。これは、どちらも同じ図面を参考にしているからです。

古代出雲大社復元模型写真

「朝鮮民族は『出雲民族』の流れであり、その王たる一族は須佐之男命(スサノオノミコト)の末裔である。ゆえに代々出雲国造に伝わっていた絵図『金輪御造営差図』を参考に取り入れ、永きにわたり離れていた天照大御神の一族たる大和民族(日本)と須佐之男命の一族たる朝鮮半島に住む出雲民族(朝鮮)が再び一つになる『内鮮一体』を完成させる式典会場として朝鮮神宮を造る。

それは、国譲り(韓国併合)からの再度の国譲り(韓国独立)かつ天孫降臨(結婚されて天津(あまつ)神の一族になられた李王垠殿下の皇帝の就任)を行うことになり、神代の昔に、出雲を譲られた大国主命(オオクニヌシノミコト)(須佐之男命の系譜)が出雲大社に祀られたのと同じく、国を譲る側になられる天照大御神をご祭神とし、さらに、明治維新の象徴であり、韓国皇太子留学をご許可された明治天皇陛下をお迎えして、高天ヶ原を再現した南山山頂より、朝鮮半島の発展を末永く見守っていただく。