震災前に売上減少の一途であった企業が、被災してすべてが無になったとする。補助金をもらってなんとか新規まき直しを図ろうとする。

いやいや、それはいけません。補助金をあげますから震災前の右肩下がりの状況に戻しましょう。こんなばかな話はない。

もちろん国は、震災前に傾いていた企業は補助金を出すからもう一回傾けとは言っていない、そんなことは言うはずがない。しかし、そう言っているのと大差はない。

確かに「焼け太り」は認められない。それはわかる。しかし、実はこの問題の本質は焼け太りは許されないという問題ではなく、補助金の効果の問題なのだ。グループ補助金に限らず、どんな補助金についてもそうだと思うが、ある補助金についてそれがどのような効果を挙げたのかということについて議論されることはほとんどない。

役人の仕事は与えられた予算を使い切ることであって、その効果について考えることはないのだ。補助金は本当に役に立ったのか、それともどぶに捨てたのと同じなのか、などと考えることはないのだ。

F社については、その後どうなったか私は確認していないのだが、仮に旧式の生産ラインで復旧したとしよう。そして、やはり旧式のラインではうまくいかず事業閉鎖になったとしよう。

これは結局、せっかくの補助金が活きなかった、無駄になってしまったということになるのだが、役人はそんなことは気にかけないのだ。彼らの仕事は、補助金を出してしまえばそれで終了なのだ。彼らにはその後のことを考える余裕はない。

私は役人を非難しているのではない。そういう仕組みになっていることが問題だと思っている。このことは後でまた議論することとして、「復旧資金」であることの意味についての問題に戻る。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『補助金の倫理と論理』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。