公庫の融資、県の補助金交付事務といった実務経験をもとに、日本の金融と補助金の問題点を考察していきます。当記事では補助金をめぐる諸問題について、筆者が語ります。

マル経の目玉は無担保無保証であったが

当時モフ担(大蔵省との折衝にあたる担当職員)であった先輩から聞いた話では、通産大臣であった中曽根康弘が大蔵省を説得したらしい。当時の大蔵大臣は愛知揆一であったが、直前の総選挙で彼の選挙区である宮城一区で共産党の庄司幸助が議席を獲得したことは衝撃であったに違いない。愛知も中曽根の提案を受けいれざるをえなかったのだと私は推測している。

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ところで、マル経の目玉は無担保無保証であったが、金利も国民金融公庫の一般貸付の金利より低かった。その差額については、公庫は中小企業庁から補給金をもらっていたのである。これは補助金にほかならない。つまり、間接的にではあるが、国がマル経利用者に利子補給をしていたことになる。

これが、広瀬がマル経は一つの補助金だ、とした理由だ。もう一つは、マル経が商工会、商工会議所(以下「商工会等」と略す)の推薦を必要とするということだ。商工会等は審査会を開催して協議し、国民金融公庫に推薦書を出すのだが、審査会にかけられる前に商工会等の経営指導員が巡回指導という形で会員企業を訪問し企業の調査を行う。

この巡回指導はマル経推薦のために特別に行われるものではなく、ふだんからの商工会等のメインの仕事の一つだ。これには経営改善普及事業費という名目で国から補助金が出ている。そのほかにも、商工会等にはさまざまな名目で国や県から補助金が出ている。商工会等の運営は会員からの会費収入だけでは成り立たない。東京商工会議所や大阪商工会議所のように、多くの会員を有している大会議所では運営費に占める補助金の割合はそう多くはないだろうが、地方の小さな商工会等では補助金のウエイトは大きく、補助金がなければやっていけないのだ。

つまり、商工会等の事業そのものが補助事業といってもいいのだから、やはりマル経は補助金の一つといって差し支えない。ところで、マル経は補助金事業だといってしまうと、補助金につきものの不正が多かったのではないか、あるいは運営がいいかげんになされていたのではないかと思う人がいるかもしれない。

しかし、実際には不正の類はほとんどなかった。まったくなかったわけではなく、経営指導員が企業の損益状況を偽装して融資を引き出したというようなことはあったが、マスコミに取り上げられるような大きな「事件」はなかった。運営についても、国民金融公庫の内規で年二回「マル経協議会」を開催することが定められていて、各地の公庫の支店と各地の商工会等の経営指導員がその協議会で、「どうしたら事故率を低くできるか」など、マル経の円滑な推進のために真剣な議論をしていたのだ。マル経においては、補助金につきもののさまざまな問題がほとんど発生しなかったのだが、それは金融機関が介在したからだと私は考えている。

その意義については次章で触れることにして、次にマル経の「集票効果」について考えてみたい。「『商工会議所を都市の農協に見立てたらいい』というのが協議の際の誰の発言であったかは、はっきりしない。しかし、ひな型を農協に求めるという発想が出て、話は急速に進んだ」と広瀬は書いている。つまり、マル経は農業補助金の都市版なのだ。

農業補助金は自民党の集票には実績があったが、この「都市補助金」はどれぐらいの効果があったのだろうか。マル経は商工会等の推薦を必要とするが、商工会等の会員であることは融資要件になってはいない。

したがって、商工会等の会員になっていなくてもマル経融資を受けることは可能なのだが、実際は非会員が経営指導をうけることはほとんど不可能で、マル経は会員のための制度であるといっていい。制度が発足してから、マル経融資を受けるためにどれくらいの企業が民商から商工会等に入ってきたか、私はデータを持ち合わせてはいないが、マル経によって商工会等の会員がある程度増えたことはまちがいがない。私は本店からの指示で、マル経の推薦が多かった商工会等に、マル経の推進に協力してくれたという趣旨の感謝状を持っていったことがある。

そのときに、ある商工会の事務局長から、「国金さんがマル経を熱心にやってくれたおかげで会員が増えたのだから、感謝状は本当はこっちで出すべきなんですけどね」と言われたことがある。それは、まあ、リップサービスであったろうが、マル経が会員数の増加に一定の貢献をしたことは確かなようだ。

ただし、すべての商工会等がマル経の推進に熱心だったわけではない。ある県のある商工会議所のマル経推薦はいつも1年に1件だけであった。ゼロだと日本商工会議所から叱られるから、やむをえず1件だけ推薦していたというのだ。その商工会議所の専務理事と事務局長は、地元の地銀の出身であった。その商工会議所の経営指導員がマル経協議会で小さくなっていたことを思い出す。当時の地銀や信金と政府系金融機関の関係はここで書くまでもないだろう。

マル経の発足にあたって大蔵省は難色を示したというが、それには民間金融機関の監督官庁としての配慮もあったかもしれない。もっとも、マル経に限らず、政府系の金融機関の存在そのものが民間金融機関にとっては民業圧迫であったのだけれども。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『補助金の倫理と論理』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。