当時、銀行振込はなく、ほとんどが現金か小切手だったからごまかしやすかった。また、一、二年勤めて当社のノウハウを盗み、辞めた後に他の問屋と組んで独立する者もいた。

問題は、他の問屋と組んで当社の得意先に同じ品物を安く売り込んで混乱させることだった。その問屋に抗議はするものの、競争相手でもあるので合意してくれなかった。結局、そうした不条理なやり方は長続きしなかったが、商売の厳しさは想像をはるかに超えるものだった。

その一方で、同業の味噌醬油問屋の社長たちが「上野商店はこれで終りなので、取引には気をつけるように」と仕入業者と密談していたという事実を後になって聞かされた。社長になった翌年、一番大きい得意先が倒産して五百万円の集金ができなくなった。

この噂があっという間に仕入業者の間で広がり、一番取引が大きく信頼していた仕入先の味噌メーカーの社長に騙され三百万円の手形を振り出してしまった。買掛金(仕入商品)と相殺とのことで、その後、何回催促しても商品を送って来なくなり、遂に品切れになった。

これには相当困った。なぜならこの商品は売上げの二割を占めていたのだ。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『復活経営 起業して50年 諦めないから今がある』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。