そのかわり、義務を果たさなければならない。子供を作ったらその子を大事に育てなければならないのも義務である。義務を果たすことの大切さはうまく口では言えないが、社会のためではなく自分のためであることは確かだ。これには根拠はなく、勘である。

そして、義務と悩むことの関係というのはいろいろあるが、義務は努力の中の一つの種類なので、努力と悩むことの関係について説明する。

一つは、どちらも同時にできないということである。二つ目は、どちらも両立することが大切なのは言うまでもないが、どちらかに偏りやすいということである。三つ目は、頑張った結果それを試すとき(分かりやすく言えば、練習という努力に対して本番、悩み抜いて思いついた時に作る作品など)、それ以外の時間はすべて、努力か悩むかのどちらかである。

ゲームや遊びは努力に入ると思う。無駄な努力はないが、勉強や仕事と、ゲームや遊びのどちらが無駄かと言われれば後者である。

最後に、努力と悩むことは何なのかということだが、それは同じであり正反対でもある。正反対なのはわかると思うが、足りない才能を頑張って補うという面では同じである。

そもそも義務とは何だろうか。僕は今仕事をしないで絵を描いているが、これは義務を果たしていると言えるのだろうか。

社会の役に立っていないなら義務を果たしていないというならゲームやアニメを作る仕事やお菓子屋、棋士などはどうなのだろうか。社会に認められたら義務を果たしていると言うのだろうか。

しかし、今の状況では子供を大事に育ててはいないという事だけは、動かない事実だと思う。

※本記事は、2020年2月刊行の書籍『令和晩年』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。