医学部に入る前、漫画や絵画などで骸骨の姿を見る事があったが、胸の水平方向の肋骨の本数が、絵によって異なるので、人によって違うのだと思っていた。

ところが、骨学実習のおかげで、それは誰もに共通して正確に左右12本ずつである事を知った。また、首、胸、腰の椎骨もそれぞれ人間である限り、7個、12個、5個と決まっている事も学んだ。

指導に当たる高本教授は温厚そのものだったが、やはり威厳があった。数名の助手の先生方が生徒の質問、指導に当たった。教授を前にしているためか、助手の先生方も、妙に緊張しているように見えたのを覚えている。

今日は初日だから、簡単な説明があって終わればいいな、と自分自身は淡い期待を持っていた。

教官はまだ見えない。声高に喋る声が近くから聞こえる。竹田君だった。軽音楽部に所属し、先輩の医学生から聞いてくるのか、情報量は豊富だが、やや活発すぎる性格にもみえた。今も誰かを相手に矢継ぎ早に喋っているらしい。

ある有名大学の教授の息子さんだと聞いている。しかし、実は彼も緊張しているのかもしれない。良く通る声が、大勢のざわめきに打ち勝って耳へ届く。

“どこかの医学部の学生が、解剖学実習の最中に、何を思いついたか、遺体の耳を切り取って壁に張り付け、壁に耳あり、と叫んだんだとさ。それを見た教授があっと叫び、さすがに一発退学になったとさ……”それに呼応して別の者が口を出した。

“そんな話僕も聞いたことがある。やはりどこかの医学部の解剖学実習の最中に、学生が切り離した頭を持って歩いていると、外で高い木の枝に登って植木の手入れをしていた職人が、窓の隙間からそれを見て、気を失ってはしごから落ちたらしいよ……”

女子学生たちは、意外に落ちついている様子だった。そのようにふるまっているのかも知れないし、案外、女子の方が勇敢なのかな、と女子学生たちを見ているうち、紫藤(しとう)に眼が留まった。

紫藤麗華は、他の女子学生と談笑していた。横顔を見せる時、整った目鼻立ちが際立った。天は二物を与えずというが、医学部の同級生の中でもトップクラスの成績、しかも街の有力外科医のお嬢様だった。

他にも優秀な女学生はいたが、普通の家庭だったり、家が医者や有力者でも出来がいま一つだったりした。羨望と好意と嫌悪の入り混じった眼で見ていたのは、おそらく僕だけではなかっただろう。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『正統解剖』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。