これは1957(昭和32)年、いまから50年以上前に書かれたものであるが、この弊害は現在でもほとんどが解消されていない。補助金をめぐる問題の解消は前進しているとは言えないのだ。萩田は地方財政審議会委員としてこれを書いているので、ここでいう「補助金」は言うまでもなく「補助金A」である。

補助金Aはなくならない

萩田のいう弊害は、(6)を別にすれば、地方自治と財政の効率性にかかわるものの二つに分けられる。この二つは表裏一体なのだが、あえて別個に言えば、地方自治に関する弊害はまず解消できないであろう。

「補助金の弊害」というのだから、補助金が一切消滅してしまえば弊害もなくなるはずだ。しかし、仮に補助金が全廃されたとしても、萩田のいう(1)と(2)の弊害はなくならない。自治権の侵害とか干渉は補助金があるから発生するのではない。補助金は干渉の手段であり、まず干渉ありき、なのだ。したがって、本当の意味での弊害は実は(6)しかないのだ。

これについては次章で詳述するが、ここでは学者の見解を一つ紹介する。前章において、宮本憲一が『補助金の政治経済学』で補助金をめぐる汚職に触れ、「そこで、1950年のシャウプ勧告ではこれを全廃しようという方針を示した」と書いたのを紹介した。宮本はその後にこう続けている。

《しかし、補助金は、計画を決定し支給する中央官庁にとっては地方自治体を統制する最も有力な金づるでもある。これがいかに問題点が多くてもやめることができない。》

宮本のいうとおり、いくら問題点があっても補助金は、補助金Aはなくなることはない。補助金Aがなくなることは中央官庁が地方自治体を統制しなくなるということである。もちろん100%ありえないとは言えないが、おそらく現在の中央官庁と地方自治体の力関係が逆転する、あるいは対等になることはないだろう。

そもそも、「地方自治体」というが日本には昔から現在に至るまで完全な地方自治など存在しなかったといっていい。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『補助金の倫理と論理』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。