私はそれを聞いた時、心の花びらが散った。ちょっぴり淋しかった。

子供の躾について、私のやり方で良いのか間違っていないのかと迷ったり、父親不在の淋しさが子供に悪い影響を及ぼさないのかとさんざん思い悩みプレッシャーに押し潰されそうになったこと。

将来のことが一気に不安になり、脱出ができずもがき苦しんだこと。様々なシーンが早送りムービーになって映し出された。

私は、いままでの現実をきちんと受け止めてはそのたび立ち止まり考え抜いてきた。私なりの結論を出し、考えても答えに至らない時はそこで考えるのを停止させ、別の思考にエネルギーと時間をかけるようにしてきた。何も考えない日は一日もなかった。私の左脳と右脳は良く働いてくれている。働くほど効率は良くなる。

人は「時間に追われる」と言う表現をすることがあるが、それは少し違うと思う。時間は人間を追ったりはしないからだ。平等に与えられた時間をどう使うかは私たち個々の思考と行動によるものだ。私は死ぬ間際まで私らしく生き続けたい。

息子の事が大好きでいつも一緒にいた、サトシくん。体格が良くて力持ちだった。

サトシくんが五年生の時、担任の男の先生と力くらべをしたと聞いたことがある。人はみんな、自分を否定し受け入れようとしない相手は苦手だ。愛のある叱り方は大変に難しい。私も感情むきだしで子供たちを怒鳴りつけてしまう場面がある。

言葉で言っても分かってもらえなかった時、つい手が出てしまう。殴った後の痛かった掌のことを思いだす。その後、心の痛みが打ちよせてくる。いや、殴られた方がもっと痛いに決まっているのだけれど。

サトシくんの心の淋しさは表面からは微塵も感じられなかったが、彼は彼なりのいろいろな感情が交錯していたに違いない。親と離れて生活しなければならなかったことは、どれほど寂しかっただろう。

運動会終了後の片づけをしていたある時のことだった。私はPTA役員をしていたため、テントを運んだりイスを片づけたりしていた。サトシくんが、ちょうど私の隣りに並んだ。

「持ちますよ」とサトシくんは、私が右手に二脚、左手に二脚パイプイスを畳み運んでいた時、声をかけると同時に私の右手に持っていたパイプイス二脚を自分の手に持ち換えたのだった。

私は思わず、
「ありがとう。サトシくんは優しいネ」
サトシくんの方を見て笑顔で答えた。私の中で一つの言葉がキラッと光を放った。

「サトシくんは、優しい子なのだ」
心も頷いた。

子供は自分を褒めて認めてくれる人には心を開くのだと実感した。

大人も昔は子供だったのだが、いつのまにか忘れてしまう。私たちは子供の頃、人に褒めてもらって嬉しかった。大人になってからも職場で認められたら嬉しい。その反対に人に悪口を言われたら悲しくて嫌な気持ちになるし、落ち込む。大人も人にイジメられたら会社へ行きたくなくなる。子供も同じなのだ。

大人の世界からイジメがなくなれば、子供の世界からもイジメはなくなるかもしれないと思う。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『プリン騒動』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。