「おそれながら、これは、私めにとって、小事ではございませぬ。三年前、紹介状を書いてくださったとき、大哥(ターコウ)は、漁覇翁(イーバーウェン)の商売を、ご存じでありましたか?」

「知らなかった」

「身、不肖ながら、どなたにお仕えし、どんな仕事をなすかは、人生の一大事でございます。掃除なら、まだ耐えられますが、無辜(むこ)の幼子を掠(さら)って来て、売買して儲けるなど、人の、なしうるわざとは、思えませぬ」

「それで、たずねて来たのだろうが、わたしに人事異動の権はない。おまえが浄軍にくわわって、ともに掃除にはげんだところで、一文の銭も出ないぞ。いいのか? それで」

「………」

「どうやって飯を食う? 浄軍にもどって来ても、自分だけ、給金をもらえぬのだぞ? いぜん、おまえは、泣いていたではないか。あれが、ずっとつづくのだぞ」

「………」

「寒山(かんざん)と、拾得(じっとく)の故事を知らぬか」

「……存じあげません」

「唐(とう)代の、有名な詩僧だ。あるとき、寒山(かんざん)は、盟友の拾得(じっとく)に、たずねた。『人あり、我をあなどり、我を辱(はずかし)め、我を冷笑し、我を毀(そし)り、我を傷つけ、我を嫌い、我を憎み、我を怨み、我を欺(あざむ)かば、これをいかにすべき』とな。おまえが拾得(じっとく)だったら、なんと答える?」

「………」

かなり長い沈黙のあと、趙大哥(チャオターコウ)は、言った。

「拾得(じっとく)は、こう、こたえたのだ。『ただこれを忍び、彼に従い、彼に譲り、彼をして避け、彼に耐え、聾唖(ろうあ)を装い、彼に取り合わず、冷眼でこれを観じ、彼の如何にするかを看よ』と」

「………!」

「こんな話もあるぞ。唐の宰相・張公藝(チャンコンイー)は、一族九代が同じ屋根の下に住み、親子・兄弟むつみ合う、誰もがうらやむような生活をしていた。ときの皇帝・高宗(こうそう)がそれをきいて、張公藝(チャンコンイー)に、家族円満の秘訣をたずねた。その答えは、どうであったか? 彼は、紙と筆とを請い、字をかきはじめた。どんな字だったか、わかるか?」

「わかりませぬ」

「『忍、忍、忍……』と、そればかり、百個」

「………」