第一章 青天霹靂 あと377日

二〇一六年

三月十四日(月)曇

その日の調子にもよるが、だんだん“ありがとう”としか言わなくなり、うつろな目をする時が増えてきた。そうかと思えば、ふと真顔になり、しきりに何かを伝えようとする……。しかし、やはり先の言葉がつづかず、また譫言(うわごと)のように、「ありがとう、ありがとう」と、顔を歪める。

近頃、フコイダン錠の粒が母の喉に負担をかけているのを気づかい、調剤室で粉砕し顆粒にしてくれるようになった。それを栄養ドリンクに溶き、ゴクンゴクンと喉をならして母は飲み干した。

そして一息つくと、「あー、やっと正気に戻った」と、言った。「また夢に行ってたのか」と尋ねると、「うん」とうなずく。

側にいる私には気づかなかったが、母は常にそんな行き来を繰り返しているのか。自分が自分でなくなる様を、俯瞰(ふかん)する母の心境たるや如何ばかり……。

「冬は必ず春となるいまだ昔より聞かず見ず冬の秋と返れる事を……」なれど、母にとっての春は、死した後の次の世にある蘇生の意。それも免れ難き人の定めか。

三月十八日(金)晴

右足が麻痺しているのなら、それを足の付け根から踵まで簡易ギプス(シーネ)で添え木固定してはどうだろうか……。関節が動かなければ、膝が崩れて転ぶこともない。そうすれば、また歩行器で歩けるかもしれない……と、不意に思いついたのは半月ほども前の事だ。