L医事課長は、院長(被告人)に今までの方針でよいか尋ねると、院長は「それでやってください」と言った。X技師長は、許可が出たから始めるようにとW子医師らに言い、W子医師らは監察医務院に問い合わせたと誤解し、解剖を始めた。

解剖所見としては、右手前腕静脈血栓症及び急性肺血栓塞栓症のほか、遺体の血液がさらさらしていること(これは溶血状態であることを意味し、薬物が体内に入った可能性を示唆する。)が判明し、心筋梗塞や動脈解離症などをうかがわせる所見は特に得られず、「右前腕皮静脈内に、おそらく点滴と関係した何らかの原因で生じた急性赤色凝固血栓が両肺に急性肺血栓塞栓症を起こし、呼吸不全から心不全に至ったと考えたい」と結論された。

解剖終了後、Z医長とC医師、W子医師が、院長にポラロイド写真を見せて、肉眼的な所見として心筋梗塞等、病死を思わせる所見がなかったこと、血管が浮き上がっており、血液がさらさらしており90%以上の確率で事故死であると思う旨報告した。

⑥  2月20日、院長(被告人)はK副院長とともに、D子の夫であるIの自宅を訪れ、それまでの経過について中間報告を行った。その席で、Iから事故であることを認めるよう詰め寄られ、病院が警察に届け出ないのであれば、自分で届け出る旨言われた。院長(被告人)は、病院関係者らと話し合い、警察に届け出ることを決め、2月22日、東京都衛生局長らと面談し、その旨を報告したところ、警察に相談する形で届け出るようにとの指示を受けて、同日、渋谷警察署に届出をした。

⑦  3月10日、D子の夫であるIが保険金請求のため、D子の死亡診断書、死亡証明書の作成を東京都立広尾病院に依頼。用紙を受け取ったJ事務局長は、翌3月11日、主治医C医師にその作成を頼んだ。C医師は、保険金請求用に必要な診断書だと理解した。

D子が死亡した直後の2月12日付死亡診断書で、死因の種類を「不詳の死」と記載していたが、この診断書では保険の方がうまくいかないのだろうと考え、この時点で死因を不詳の死または外因死と記載するか病死と記載するか迷い、院長に相談した。

院長も判断に迷い、K副院長、Q副院長、J事務局長と協議。解剖の報告書に急性肺血栓塞栓症との記載があったことから、死因を急性肺血栓塞栓症とすることにした。

保険請求のための診断書であり、現時点での証明であることを説明することとして、3月12日、C医師作成の死亡診断書、死亡証明書をJ事務局長がI方に持参し、同人に手渡した。