2007年

「会社都合」か「自己都合」か

四月のある日、テレビのニュースで日本の桜の映像が放送されていた。短いニュースであったが、日本を離れて一年、懐かしくて思わず食い入るように見てしまった。今頃日本はきれいだろうなあ。

村上龍のメルマガ『JMM』で、アメリカ在住の作家冷泉彰彦氏がシリーズ『from911/USAレポート』の中で「自己都合か強制か」というレポートを書いている。

アメリカから見ると日本の雇用慣行の中にある「会社都合」と「自己都合」とを分けるというのは何とも不思議に見えるようである。冷泉氏は次のように書いている。

アメリカの場合は「人間が半強制的な住居移動を伴う転勤を命令されることはない」ということと、「チャンスを求めての移動は本人が自分のコストで胸を張って行う」という発想が確立していると言って構わないと思います。

「イヤイヤ転勤させられるかわり、経済的な見返りがある」というシステムは、アメリカ流に言えばそこに「個の尊厳」があまり感じられない、つまり価値観としてはやはり理解できないということには変わりはないと思います。

まして「会社都合の転勤にも静かに従うのが出世への道」というような発想はアメリカ人にとっては嫌悪の対象となるでしょう。

さてフランスではどうだろうか。結論から言うとやはりアメリカと同様に半強制的な「転勤」は不可能なようである。あくまで本人の同意が必要だ。本人が嫌だと言えば異動はできない。

住居の移動を伴う転勤だけでなく、雇用契約に記された職務を変更する場合も本人の同意がなければできないので社内の人事異動は非常に硬直的である。但し、会社を変わる移動はとても流動的なのである。

一方日本は社内の異動については遥かに柔軟性がある。これは良い点でもあるが、労働市場が流動的でないことから、雇用契約以上(日本ではそもそもこの概念が希薄である)の忠誠を強いる背景にもなっている。

話は少々変わる、人事に関しての話題である。先日フランス人の人事部長と年一回の評価面接をした。
まず本人が過去一年間の目標達成度、能力発揮度を自己評価し、次に上司が評価し、面接をする。
その際次期の達成目標と能力開発目標もお互いに確認する。
これは日本もほぼ同じシステムで、目標管理人事システムと呼ばれているものだ。

その面接の場面。
「ミスター・ミネギシ、あなたは私をこう評価しているけれど、この点については自分としてはこうしているつもりなので違うと思う」

「いや、私の評価の根拠はこれこれこうだからこう付けた」
「それには私は同意できない」
などというやりとりがあった。

日本の場合、仮に自分の意見と違ってもあまり上司に反論はしない傾向があり、また上司もあまり厳しく評価したがらないと思う。極端なケースでは「今回はまあ我慢してくれ、次回はちゃんと報いるから」などという場合さえもあるのではないだろうか。日本ではできるだけ意見の対立を避けようとする。

一方フランスでは意見の対立があって当たり前というのが前提としてある。
むしろ意見の対立を好むのではないかという気すらする。日本人のメンタリティではちょっと抵抗があるが、意見の対立で言い争っても感情的にならず、後ではケロっとしているので、そういうものだ、思えば日本より精神的には楽な気がする。

日本は対立すると後々まで尾を引き、気候と同じでどうもジメッとした関係になりがちである。
そうしたやりとりのあった面接が終了したあと彼が
「ところでミスター・ミネギシ、○○さんとの面接は済んだ?」
「いや、まだだけど」
「面接の時、異動の話をするつもり?」
(この件はすでにトップにも了解済みで彼にも話してあった)

※本記事は、2018年10月刊行の書籍『ブルターニュ残照』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。