「うん、話をしようと思う」
「その話をする時には、絶対に事前に私と話し合って、対応をどうするか確認してからにして欲しい」
「うん、でもなぜ?」
「日本の人事異動の常識とフランスの常識は違う、必ず私と事前に打ち合わせてからにして欲しい、さもないとトラブルになるから」

と念を押されてしまった。彼は日本の雇用慣行なども勉強していて、日本的な人事異動のシステムを是非取り入れたいと思っていると常日頃から表明しているが、それはフランスの人事事情を踏まえた上でなければならないと言っている。フランスでもアメリカと同様に「自分の意に反した異動には従わない」これは常識のようだ。

従って「会社都合」と「自己都合」とを区別する価値観そのものがないと言えるだろう。

多くの日本の会社と同様に、日本の私の会社にも、会社からの異動命令を拒否できないいわゆる総合職と、地域限定で本人の同意がなければ転勤させられない一般職の区別がある。当然、処遇にも差がある。また差をつけなければこのシステムは成り立たない。差がなければ誰も総合職に手を挙げようとはしないだろう。

冷泉彰彦氏流に言えば、企業側としては「同一のスキル」であっても「自己都合で土地を離れられない人」と「会社都合での転勤を受け入れる人」を同一の処遇にはできないからだ。
彼はさらに

“その奥には、現在の日本の財界の中枢にいる人々の意識もあるでしょう。
「自分は明らかに優秀だったのでこの地位に就いた」というのは実は少数で、ホンネの部分では「自分は優秀ではなかったが、転勤や海外駐在に応じたり企業への忠誠心を示すことで今の地位を手に入れた」と思っているのではないでしょうか。
そうした人間にとっては「本当の能力が評価される時代」というのは想像を絶するのかもしれません。”

と述べ、

“この転勤の問題は残業の問題と併せて、日本の労働生産性、働く人間の幸福度に関わる深刻なテーマだと思っています。”
と続けている。

フランスに来てみて確かに日本の人事異動に対する考え方は西欧のそれとは違うと実感するし、日本が特殊だとも思う。しかしもう三十年以上も日本の労働慣行にどっぷり浸かってきた私から見ると、冷泉彰彦氏の「個人や家庭を不幸にしてイヤイヤながら転勤を受け入れる」という言い方には、日本のサラリーマンの負の部分ばかりが強調されすぎているという思いを禁じえない。

それは個人と会社との一体感の問題である。日本のサラリーマンは転勤を受け入れることが会社の事業運営に必要なことであり会社を活性化させ、発展させるためには必要なことなのだと信じているのである。

つまりイヤイヤではなく納得して「会社都合」が善であると思って転勤するという意識は少なからずあると私は思っている。もちろんそれが全てではなく、イヤイヤから納得までは個人によってかなりの幅があるには違いないとは思うが。

転勤を始めとして “「個」の価値観がない日本のサラリーマン” という言説が一般的に流布されている。確かにそういう面があるのは否定しないが、日本のサラリーマンが悲惨で不幸な人生を送っていると決めつけられると、自分のこれまでの仕事人生を否定されたようでいささかムッとするというのが正直な感想である。

※本記事は、2018年10月刊行の書籍『ブルターニュ残照』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。