Late at night(プロローグ)

1 Dreamer – B.B. & Q. Band

六本木の夜を楽しもうとする人間たちのラッシュは、午後7時頃から始まる。でも、実際にこの街の夜をセッティングする人間達は、このラッシュの2時間前にはすでに街に入り込んでいる。

そいつらはこの街に群がってくるゲスト達を、いい気分にしてやることができる術を身につけているこの街の魔法使い達だ。光や音を巧みに操って、訪れた人間達に甘い魔法をかけるのは、みーんなこいつらの仕業。

彼らは、自分のテリトリーをアピールするため、それぞれのポイントにたむろして、巧みな話術を使いこなし、ターゲットを陶酔の世界へと導いてゆく。それを生業としている魔法使い達。

また、彼らとは別の世界に存在し、自分のテリトリーに足を踏み入れた者達を、さらに深くて強力な陶酔へといざなう能力を持ち、蜜よりも甘い呪文を耳もとで囁く、魔女などがその大半をしめている。それらの者の中にまぎれていても、秘めた存在感の大きさを抑えきれない者がいる。

光と音を自由自在に操り、なによりも強力な魔法を使う能力を備えた者達がいる。その者達はこの街でDJと呼ばれていた。

2 Last Train to London – E.L.O.

営団地下鉄日比谷線、六本木駅。

ここは地下鉄の駅だから当然、長い階段を上らないと駅から外に出ることはできない。夜もまだ早めで、静かな時間帯なら問題ないけれど、夕方の六時半を過ぎた頃からは、地上にポッカリと口を開けている六本木駅出口の階段から、人間が無尽蔵に吐きだされ始める。

気持ちいいことや、楽しくて面白いことだけを、貪欲に求める快楽の亡者達がどこからともなく、増殖しながら六本木の街中へ流れ込んでいく。ピーク時の駅階段出口は、ちょっと普通じゃあない。そこいら中が、ヒマな人間達で溢れ返っている。

それらの大半は、人待ちなんだろうけれど、狭い歩道で動きを止めるそいつらは、まるで乱雑に並べられたドミノのよう。駅出口から、六本木交差点にあるアモンドの前までは、歩いている者よりもボーッと突っ立ってる奴のほうが、はるかに多い。

六本木で、遊ぶことだけが目的の奴らにとっては、この街の歩道を歩くってことなんか、全然重要なことじゃあないんだろうが。『この街では、そっちのほうが正解だろうな』あきらめに近い意見。最後にたどり着くのは、いつもこの意見なんだけれども。

たとえ本人の理解が、あきらめに至っていても、人の澱みによってさらに狭くなった歩道の中、人と人とのわずかな隙間をすり抜けて歩かなければならない人間もいる。まるで、2輪車のジムカーナさながらのテクニックを使い、体を右に左に切りかえしながら、目的地までの距離を縮める。そんなテクニックを駆使して、目的地を目指さなければならない者もいる。

地下鉄の階段を上りきるまで、あと15段。彼はいつも歩いているときに、歩数をカウントする癖を持っている。あと五歩進めば階段を上りきる。

胸の真ん中あたりに、普段よりも少し暴れ気味な心臓を感じながら階段を上りきる。その場所で彼は立ち止まり、すでに見慣れた街の人波に視線を向けてマルボロを1本、前歯で嚙んだ。

そして右手のライターに左手を添えて、嚙んだタバコに火をつけた。最近の地下鉄駅や、まぁ、地上の駅でもそうだけど、タバコを吸っちゃいけない場所というのが、誰に断ることもなく増えてきた。そのおかげで、電車を使ってこの場所に来るとき、いつも小さなストレスを感じるようになった。

彼の名前は、水嶋翔一。この六本木でDJと呼ばれる者。

彼は、口にくわえたマルボロの煙を、少しずつ肺に送り込みながら、今すぐに目の前にある分厚い人波をかきわけて、たどり着かなければならない場所へ向かおうか、それとも……と考えている。