第2章 仏教的死生観(1)― 浄土教的死生観

第6節 戦後の犯罪死刑囚の場合

堀川惠子の『教誨師』(講談社 二〇一四年)によれば「明治時代の初期には、浄土真宗の僧侶が複数、 監獄に出入りしていたという記録が登場する。この頃はまだ、教誨師を束ねる統一的な組織もなく、有志がそれぞれの信念に従って行う自発的な活動に過ぎなかった。

(中略)監獄の規則に初めて『教誨師』 という名称が確認されるのは明治14 ・一八八一年の 『監獄則』で、第九二条『已決(いけつ)囚及び懲治(ちょうじ)人教誨の為め教誨師をして悔過遷善の道を講ぜしむ』という部分だ。」

そして二〇一四年「現在、全国の拘置所、 刑務所、少年院には約一、八〇〇人の教誨師が活動している。」なお、教誨師は無報酬のボランティアとのことである。

そうした教誨師の一人だった渡邉普相(ふそう)(もと広島 の被爆者)という浄土真宗の僧侶へのインタビューや彼の「教誨日誌」をもとに、堀川が『教誨師』で紹介している死刑囚の死生観を探ってみよう。

例えば山本勝美(仮名)は、昭和36年、別の事件 で収監中、酒飲みたさにバールで看守を殺し脱獄して捕まり死刑判決を受けた。東京拘置所に留置後、 昭和42年10月、小菅刑務所で絞首刑となった。

彼は「人の命を奪った自分は地獄に落ちる、宗教に救われるわけはないと半ばふてくされていた」が、渡邉普相との対話を通じて親鸞の教えに触れる。

すると「山本は、あくる日の面接で『歎異抄』をふりかざして渡邉に詰め寄った。

「先生、どうしてこれまで 私にこれを教えて下さらなかったのですか! 悪人 でも救われると書いてあるじゃないですか! 私のような人殺しも救われると書いてあります!」

それに対して渡邉は「山本さん、私がもし、これを読んでみなさいと言っても、あなたは読みましたかね? あなた自身が読みたいと思った時が、仏縁(註:阿 弥陀仏や仏法と出会う縁--堀川)が熟した時なんです。きっと、あなたの事件の被害者の方が、あなたにこうやって縁をもたらしてくれたんですよ」と諭す。

すると山本は「この日を境に、死刑を待つだけの空虚な時間の中で被害者への供養に代えて、真剣に仏教の教えを学ぼうと決意した」。

その山本も、死刑執行が16年ぶりに昭和41年に再開され、東京拘置所でもそのうわさが広まると、母、弟、被害者の母宛ての遺書を渡邉に見せた後、

「私にも執行の時が来ます。親鸞聖人が仰るように娑婆の縁がつきようとしているのでしょう。 しかし頭でそう思おうとしても、やはり一日でも長くこちらにいたい。一秒でも生きていたい。しっかり罪を償って喜んで阿弥陀様のいる浄土へ行くことなど、今の私にはとても出来ません」(中略)「それからの山本は、自らの内に湧き出てくる煩悩を振り払おうとするかのように一層、写経と読書に打ち込むようになった」

そしてその処刑の日の朝、前の晩に寝ないで写経した『正信念仏偈』(親鸞・著― 新妻註)を死刑執行の刑務官たちに「私のような者のお世話をして下さり、ありがとうございました」と礼を言いながら手渡した。

その山本の処刑の場面では渡邉は両目をつぶり叫ぶように「帰命無量寿如 来、南無不可思議光……!」と山本と何度もお経を唱えた。

その山本と同じ日に死刑執行された桜井(仮名)の場合も感動的だ。

桜井はタクシー強盗と運転手殺 人で死刑囚となったが、渡邉の師・篠田龍雄(りゅうゆう)によっ て教誨を受けている。

その桜井の死刑執行で刑務官たちが「天井から垂れた太い絞縄(こうじょう)を手際よく首にかけようとした」時、「青白い顔をした桜井がクルッと上半身だけをねじるようにして身体をこちら側に反転させ、必死の形相で篠田に向かって叫んだ。

『先生! 私に引導を渡して下さい!』刑務官たちの手が止まった。みなが篠田の顔一点を凝視した。渡邉は焦った。浄土真宗には引導など、ない」(※補註参照)。しかし、篠田は桜井に近づき正面からその「両肩を鷲摑みにして『よおっし! 桜井さん、いきますぞ! 死ぬるんじゃないぞ、生まれ変わるのだぞ! 喝か ―っ!』

桜井の蒼白な顔から、スッと恐怖の色だけが抜けたように見えた。

『そうかっ、先生、死ぬんじゃなくて、お浄土に生まれ変わるんですね』

『そうだ、桜井君! あんたが少し先に行くけれど、 わしも後から行きますぞ!』潤んだ両の目に、ほんの少しだけ笑みが浮かんだと思った途端、その笑み は白い布で隠された」。そしてレバーが引かれて桜井が立っていた足元の踏板が外れた。

ちなみに、公益財団法人全国教誨師連盟のHP(平成29年1月)によれば、日本の教誨師の教宗派別人員は、多い順に浄土系が六七八人、プロテスタント 系一九六人、禅宗系一八九人、天理教一六二人、真 言系一五九人などの順になっている。

※本記事は、2019年1月刊行の書籍『オールガイド 日本人と死生観』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。