【前回の記事を読む】日本で仏教的死生観が広まった理由。人々が支持した「呪術性」

第2章 仏教的死生観

(1)浄土教的死生観

末木の上掲『日本仏教史』によれば、

「源信や(よし)(しげの)(やす)(たね)らに指導された叡山僧の結社である二十五三昧会(ざんまいえ)は、仲間同志で助け合って念仏往生を目指すとともに、死後には念仏葬儀を行い、光明真言によって加持された土砂を亡者の遺骸にかけること、安養(あんにょう)(びょう)を作り、卒塔婆(そとば)を立てて墓所とすることを定め」たが、

一般の庶民については「正式の得度受戒を経ない私度(しど)(そう)の系譜に属する」(ひじり)たち(源信より年輩の空也もその一人だった―新妻註)が、「行き倒れた人の埋葬などにも携わり、民間への念仏の普及にも大きな役割を果たした」。

その後、中世になると、鎌倉新仏教の宗派を問わず、「葬儀や死者供養への関与は著しく進」んでいく。

特に曹洞宗では、中国の宋で編集された『禅苑清規(しんぎ)』という書物に禅宗の葬式の方法が記されているが、「その中の修業の途中で亡くなった僧侶のための葬儀法を在家の信者にも適用、戒名を授けるという方法もそこから来た。さらに、儒教の祖先崇拝が禅宗にも取り入れられていった」(島田裕巳『葬式は、要らない』幻冬舎新書 二〇一〇年)。

「儒教の祖先崇拝」云々は「墓」や「位牌」や「盂蘭盆会(うらぼんえ)」などの導入のことを指している。

なお、臨済宗の僧侶である作家の玄侑宗久氏は火葬について、「遺体を焼くことに抵抗がなくなったのは、浄土教が出てきたからでしょうね。阿弥陀仏を信じれば、極楽に往生できるというわけですから。(中略)死後のヴィジョンに関して浄土教を超えるものはないんじゃないかと思います。禅宗のお葬式でも、結局阿弥陀仏に登場していただかないと収まりがつかないんです」と語っている(『まわりみち極楽論』朝日文庫 二〇〇三年)。

確かに、禅僧の釈宗演が導師を務めた夏目漱石の葬式でも、その柩には「細くきざんだ紙に南無阿弥陀仏と書いたのが、雪のようにふりまいてある。先生の顔は、半ば頰をその紙の中に埋めながら、静に眼をつぶっていた」と芥川龍之介は報告している(「葬儀記」大正6年 新潮文庫『羅生門・鼻』昭和35年 所収)。