人生は経験だ。

経験を重ねて、それが枝葉となり、それが茂って深みのある人間になれるはず。

その茂みが多いほど、包容力のある人間になれると信じている。

だとすると、今回の経験にも意味があるはず。

転んでもタダでは起きるものか。

私の糧になったことがあるはずだ、それを探せばいい。

そう考えると、親の大切さ、実の親と一緒に仲良く暮らせる、当たり前のようで当たり前でない幸せがわかった分、辛かった人へ優しく生きてゆけるのではないかと思った。

私はとてもいい経験をしたと思った。

私は決して不幸な人間ではない、しようと思ってもできない、いい経験をした人間だと断言できた。

それで十分だった。

私は次第に立ち直っていった。

その後も何度か長崎に行ったが、必ず山口家に滞在し、新田家には顔は出していなかった。

でも新田のお父さんとは連絡が取りたくて、お父さんと話したい時は市役所に電話していた。

どうやら市役所のお父さんの部署の人は家の事情を知っていて、私の存在も知っていたみたいだった。

おそらくその部署の人から聞いたであろう話だが、ママから聞いた話だと、お父さんは私が大阪に行った後、会社で人目もはばからずおいおいと大きな声を上げ、5分くらい男泣きに泣いていたらしい。

それを聞いた私は、寡黙で厳しかったお父さんの心の中の私への愛情の深さに驚き、本当にありがたく思い、また涙が止まらなくなってしまった。

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