2. 人との違い・良さを認め合う教育の重要性

2-2:リレーの選手事件

幼稚園を卒園と同時に生まれてそれまで育ってきた故郷徳島から父の転勤で関東に引っ越すことになった。

最初は山梨。それもたった一年半でまた引っ越し。今度は埼玉。これが小学校の二年生の二学期。この時のほろ苦い思い出は悔しさ、つらさと共に今でも鮮烈に覚えている。

一学期が終わって夏休みの初めですでに引っ越しを終え、埼玉の新しい住居の近くにある公立小学校に母と出向いた。

宿題をする必要もないと言われたが、少しでもみんなの中に溶け込めるようにとみんなに夏休み前に出されたという計算ドリルと国語ドリル、読書感想文などの夏休みの宿題一式をもらって全部仕上げて二学期初日は意気揚々と学校に向かった。

初日は校長室にまずは行って、そこから担任の先生に迎えられ、教室につれていかれた。この先生とはとことんそりが合わなかった。

その学校初日。席に着いた途端、先生は夏休みの宿題を回収すると言ったので、わたしもちゃんとやってきたぞと目をきらきらさせながら宿題を提出しに行ったら、「転校生はやってくる必要なかったのに」と褒めるよりも先にそれを言われて、なんだか一気にテンションが落ちてしまった。

でも、気を取り直してまた着席した。と、お次はこんなことが。この学校は一年生から二年生になる時はクラス替えが行われていないようで、そのまま担任も持ち上がりだったらしい。

先生はみんなに、二学期が始まったらすぐ運動会があります、という話をした。そしてクラスから四名だけ選抜されて出場できるリレーの選手選びについて触れ、こう言ったのだ。

「リレーの選手決めだけど、まぁ昨年と同じクラスだし、昨年の選手のままでいいよね」

と。ん? ちょっと待った、とわたしは思った。昨年のままで、いい? 昨年、わたしはここにいなかった。じゃあ、昨年いなかった人は無視なの? そんなのなんかフェアじゃない、と先生のこのやり方に納得がいかなすぎた。

別にリレーの選手に選ばれたかったわけではなかったし、走るのに自信があったわけでもなかった。でも正義感の強いわたしはもう限界だった。

右手を高く掲げ、

「先生、すみません。昨年のままでいきましょうっていうのはあんまりだと思います。わたし、いなかったんです。わたしもリレーの選手決めに入れてほしいです」