1.摂食障害との人生

1-3:妊娠と出産

そして脱出できてもしばらくはしんどい。体重が気になる。吐いてしまいたい。そんな時には、体重計には乗らない。過食してしまったとしても嘔吐をしないでなんとか回避する。苦しくても前を向いて走ろうとする人を神様は絶対に見捨てたりはしないのだ。

そして、ここにあなたと同じようにもがき苦しんできたわたしがいるということを知ってほしい。あなたは一人なんかじゃないということ。同じように闘っている人がいるのだということをぜひ知ってほしい。

わたしのYouTubeには、わたしがこれまでの二十六年間もがき苦しみ闘ってきた状況が包み隠さず語られているので、よかったらぜひどこからでもいいので見てみてほしい。

安心して。「今すぐに過食や過食嘔吐をやめないとだめ!」なんて、口が裂けても言わないから。そうではなくて、過食や過食嘔吐をしながらも改善していける方法、考え方を一緒に考えてもらえたらなと思っているから。

そして最後に伝えておきたいこと。それは、わたし自身まだまだ日々悪戦苦闘して闘っているのだということ。そして、きっと摂食障害、過食嘔吐に片足を突っ込んでしまった以上、これはもう一生うまく付き合っていく覚悟がいるということだ。

つまり完治は目指さないということ。痩せたい、痩せていたい、という考え方や体重が気になってしまうマインドは、緩まったとしても消えてなくなることはないだろうし、そんなこと無理にする必要ないと思う。

完治を目指さず、でも症状がほぼみられなくなる緩解かんかい(寛解とも書くけれど、わたしは緩めてよくなっていく緩解と言う字が好き)を一緒に目指して歩いていこう。 

2. 人との違い・良さを認め合う教育の重要性

次に、日本と海外との教育の違いに関して、お話ししてみたいと思う。「出る杭は打たれる」。これは長きに渡り日本の社会を象徴する表現とされてきた。右へ倣え。倣わないものは排除される。それが当たり前の世界。最近は、他国の考え方も取り入れられるようになり、幾分緩和されてきてはいるけれど、まだまだ根強く残っている。

わたしは、幼少期から出る杭だった。だから生きづらさを常に感じ、息苦しかった。カナダに来てみて、「みんな違って、みんないい」。各々の個性、感性の違い、良さを受け入れ、認め合う教育を目の当たりにすると、日本の教育はこういう側面では圧倒的に世界から取り残されているなと感じざるを得なかった。