シニア世代のための「万葉集百人一首」

七 い 1418

石走(いはばし)る 垂水(たるみ)の上の さわらびの

萌え出づる春に なりにけるかも

志貴皇子(しきのみこ)

 岩の上をほとばしり流れる滝のほとりのわらびが新芽を萌え出す春になったのだな


【注】1 志貴皇子=716年没。天智天皇の皇子。光仁天皇、湯原王らの父。万葉集に6首の歌を残す。哀感漂う歌が多く、優れた歌人であるとの評価が高い

【注】2 石走る=「垂水」の枕詞。岩の上をほとばしり流れるの意。賀茂真淵の発案

【注】3 垂水=滝

【注】4 さわらび=「さ」は接頭語。「わらび」は晩春、拳状に巻いた新芽を出し、これを食料とする山草。平安時代の勅撰集の春の巻を誤認したもの

 

八 い 142

家にあれば ()に盛る(いひ)

草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る

有間皇子(ありまのみこ)

 家に居るときはいつも器に盛って神に差し上げる飯を旅の途中にいるので椎の葉に盛ってお供えする


【注】1 有間皇子=658年没。大化の改新後、皇位についた第36代孝徳天皇の皇子。孝徳天皇は斉明女帝の弟。皇位継承権を持つ皇子と目されていたが、斉明女帝、中大兄皇太子の留守に、蘇我赤兄(そがのあかえ)にそそのかされて謀反を謀る。しかし、その赤兄に捕らえられ、行幸先の紀州牟婁(むろ)の湯に連行されて尋問の上、絞殺された。赤兄と語らってからわずか9日目であった。享年19。皇太子の尋問に対し、有間皇子は「天と赤兄と知らむ。吾全(おのれもは)ら解(し)らず」(天と赤兄は知っているだろう。私は全く知らない)とだけ答えたという

【注】2 家にあれば=「あれば」は、ラ変動詞「あり」の巳然形に接続助詞「ば」の付いた形。

ここでは恒常的条件を示す。……はいつも

【注】3 笥に盛る飯=「笥」は食物を盛る器。「盛る」は他者に飲食物を提供する時の表現。従ってここの「飯」とは米などの穀物を蒸したもの。神への捧げ物であり、皇子の魂の宿ったものと解される。それを献上することが神への恭順を意味し、同時に身の安全を願う行為だったのである

【注】4 草枕=「旅」の枕詞。草を結んで枕にする旅寝の意で旅にかかる

【注】5 旅にしあれば=「し」は強調の意を表す副助詞。この「あれば」は文法的には注2と同じ。意味は順接の確定条件。原因・理由を表す。……ので