【前回の記事を読む】外交は譲れば譲るほど、ますます譲らされるものであることがわかる

第二章 歴代中華王朝における華夷秩序の変遷

宋の時代

現在の日本は反対に実をとって名を捨てている。それは国民全体に未だ独立不羈(どくりつふき)(独立独歩)の精神が十分に兆さず、国力に見合った軍事力にも達していない理由にもよる。

高宗が江南に逃れて南宋を建国し、初代皇帝となる。当時の宋王朝は和約料として銀や絹などで支払っているが、もし当時流通していた唐銭(開元通宝)や宋銭(宋元通宝)で支払っていたなら、宋の衰退も防げたかもしれない。

ただし宗銭は開元の度に新銭を発行したので基軸通貨とはなり難かったであろう。ドルの基軸通貨(国際通貨)としての重要性がわかる。

因みに、国際通貨(基軸通貨・基準通貨・準備通貨とも呼ばれる)として十七~十八世紀にかけてはスペインのペソ、以後一九四四年までは英国のポンド、それ以降は米国のドルが一応国際通貨となっている。

このことは、通貨を支配するものが世界を制するともいえる。国際通貨である限り経常収支の赤字額は逆に発行国の利益となるからだ。人民元の価値が上がれば逆にドルの価値が下がるということでもある。中国習氏は人民元の国際通貨化を目論んでいるともいわれている。

IMF(国際通貨基金)が世界的に統一した基軸通貨を発行できるなら、安全保障理事会や軍備管理も十分に機能する可能性がある。

遼(契丹)と日本との間には国交はなかったが、藤原宗忠の日記『中右記(ちゅうゆうき)』によれば、一〇九二(寛治六)年に僧侶明範が遼に渡って武器を密売して、多額の宝貨を得たという容疑で検非違使(けびいし)(平安初期の軍事・警察を司る)の取り調べを受けた事が記されている。

また、一〇九四(寛治八)年、太宰権帥 (だざいごんのそつ)であった藤原伊房 (これふさ)が国禁を破って契丹と私貿易を行って正二位の地位を一級降格されたが、二年後には本位に戻っている。特権階級はいつの世も軽い罪で許されるものらしい。

このことから、朝廷や幕府・政府などから発せられる海外渡航禁止令や交易禁止令及び鎖国令なども、実際どの程度守られていたのか疑問である。しかし井の中の蛙として中に引きこもるよりは風通しがよいといえる。島国根性が是正されよう。

宋による平和も、文治主義の行き過ぎで文官の権力が強くなって、軍事力の衰退を招いて遂に金国の下風にまで立たされたことで滅亡に向かう。