黒崎耀子はいきなり吹き出した。

「人、いないのよ、ウチは」

葉山彩香は、不意に何かに打たれたような顔をして、すっと立ち上がると、

「よろしくお願いします」と真顔でぺこんとお辞儀をした。褐色の巻き毛が大きく垂れた。

腕組みをしたまま、サングラスを指で弄んでいた黒崎耀子は、品定めするように上から下までジロリと彩香を見ると、ちょっとプライドをくすぐられたように、にやりと微笑した。

「……誰も聞いてくれないから言うけど、あたしは、西側の橘荘だよ。いちばん古くて、いちばん家賃の安い、ボロボロの木造二階建てのね」

袋田マス江が、新聞を閉じながら言った。

「お宅らみたいな、素敵なお仕事は、してませーん。一介のお掃除オバハン。性格は、世の中の寄生虫。食虫植物マニアの変態ババァで、ございます」

どういうつもりか、灰色の据わった目をして、他の三人を、むっとした顔で睨みつけた。

睦子はちょっと心外な顔をした。

気まずい空気が流れた。

「なるほど、そうなんだ」

張りのある声で黒崎耀子が口火を切った。

「みんな、ご近所なわけねえ。同じ中庭を囲んだ住居に、ねぐらを構えているってわけか」

ふむふむといった調子で、頷いた。

「このパンタレイが、北側でしょ。ちょうど中庭を挟んで、東西南北。シンクロニシティーだわね」

続けて睦子は、うきうきした口調で言った。

「ね、だからこの店は、みなさんのリビング代わりに使っていいのよ。それがあたしにとっても、『パンタレイ』を始めた目的なんだもの」

シンクロニシティーって、何て重宝な言葉だろうと睦子は思った。

もちろんこの偶然の出会いもまた、店主の彼女自身が作り上げた庭というミクロコスモスの力なのだ。ほったらかしの中庭だったが、少しずつ手を加えてきた。自分固有のコスモスを創り出し、その世界を十二分に生きることこそ幸福なのだというのが、最近の彼女のモットーだった。

【前回の記事を読む】「彼に、別の生活があったんです。わたしの知らないところに、もうひとつの生活が…」