第3章 AI INFLUENCE

第6項 責任

1 鉄の時代の責任論

鉄の時代の責任論に戻ろう。

人々は自由意思に基づいて行動する。自由な意思で行動するとは、自らの価値判断を行うこと(≠システムの当て嵌め)だと私は考える。そしてある人が価値判断を示すとき、その人の“露な倫理感”が現される。価値判断、或いは倫理感とは、つまりはその局面に於いてその人が“何を決定的に重視したか”という事だ(「見えていても、この手は指さないと思います。~さんは。」確か、北浜健介八段の解説だったと思う。素晴らしい信頼が棋士の間にはあるものだ)。

“ハゲワシと少女”というピュリッツァー賞を受賞した有名な1枚の写真がある。痩やせ細りうずくまる少女を狙うハゲワシ。写真はスーダンの内戦や飢餓の惨状を露骨に厳しく告発した(それによってスーダンに多額の寄附が寄せられ救われた命があった)が、写真家が少女の救出に先んじてシャッターを切ったことが後から、やはり厳しく、非難された。状況証言が錯綜していたり、そもそもスーダンに行こうとすらしていない私には写真家を非難する資格もなく、行為の是非の評価の深入りは避けるが、この様に、人間の自由とはそもそも狂を孕はらんでおり、咄嗟に何をするかは自分自身にすら分からないものだと私は考える(是非はともかくとして、写真家がその“決定的瞬間”を前にして魅入られ、我を忘れ、人命救助に先んじて思わずシャッターを切ってしまうことも十分に“ありうる”と思う)。


あるものを重視し、あるものを後回しにする。それが道義的に倫理的に正しい事なのか。その判断が、延いては取るべき行為が自明でない時、その局面に於いてその人の倫理観が厳しく試される。我々は、自由であるためには、そして自由であるからこそ、根本に“狂”を孕んだ自由意思を飼い慣らさなければならない。

例えば、自動運転の装備のない自動車を運転しているとしよう。後続車がおり急ブレーキを踏めない状況で、咄嗟に仔猫(動物)が路肩から飛び出してきたとする。運転手である人間のあなたは、その動物の命と自らの安全を秤にかける。減速しつつハンドルを左に切れば電信柱に追突する。怪我ですむか、或いは最悪、命を落とすか。もちろん車の修理代も掛かるだろう。かけがえの無い命はその種を問わず尊いだろうか。或いは、刑法が殺人罪と動物損壊罪を切り分けて規定するように人間を第一とすべきか。

轢けば死ぬと分かっていてそのままは行けぬと、身の危険は承知の上で、あなたはハンドルを左に切るかもしれない。或いは、車の進行路に出てきた仔猫が悪いのだから自らのリスクは増やさずそのまま進むかもしれない。どちらにも理はあり、それを選ぶのはあなたの自由意思だ。局面は容易に複雑化する。車内にいるのはあなただけでなく同乗者もいたらどうか。その同乗者が友人だったら、恋人だったら、職場の上司だったら?

ハンドルを握ったあなたは、自動車という謂わば鉄の塊の行く末について、その刹那の瞬間に判断を迫られる。局面の結末はあなたに委ねられ、その責任もあなたが負っている。そのまま進んで猫を轢き、身を守った筈はずの恋人にふられてしまうかもしれないし、電信柱に衝突して、会社をクビになるかもしれない。或いは、その慈愛に満ちた勇断を上司に買われ、出世するかもしれない。同乗者がいなかったとしても、あなたは自らの安全のために仔猫を轢いてしまった事を自らの中で(Just one witness)一生悔いるかもしれない(20年ほど前に『The Straight Story』という映画で、通勤の度に鹿を轢き殺してしまいノイローゼに陥おちいっている女性が、その日もやはり鹿を轢き、自らの運命を呪いながらも会社へ急ぐというシーンがあった)。

或いは、電信柱に衝突した衝撃の後遺症に苦しみ、ハンドルを切った事を悔い続けるかもしれない。

あなたは一義的には正解の無い価値判断の正当性・妥当性(時に合法性)を、他者から、そして他ならぬ自分自身に評価される(思えば棋士とは、この価値判断を盤上に示すことを生業とするものだ。棋譜は半永久的に残り、仮に悪手があったとしても、例えば公文書の様に容易に喪失することもない)。

例えが、明示的・二者択一的犠牲に満ち、大仰に過ぎるだろうか。

初のデートで、あなたはディナーを伴に過ごすお店のチョイスを任されたとしよう(序盤のわりと大事な一手だ)。意中の人を連れて行くイタリアン・レストランが果たして気に入ってもらえるかどうか。そのとき、何を重視して店を選ぶべきだろうか。

雰囲気(フランクか、シックか)? 価格帯(高級感か、気軽にあれこれ頼めるのがよいか)? 馴染みの店か、誰も二人の事を知らない気遣いのいらない店か?

決断には様々なファクターが入り交じっている。そして、1つの決断にはあなたの価値観が現れている。逆に言えば、あなたの選んだお店が気に入ってもらえたとき、二人の相性もまた良いのだとも言える。意中の人は、待ち合わせの時間・場所、当日のあなたの服装、お店のチョイス、料理が運ばれてくるまでの話題、あなたの判断の一つ一つをつぶさに見ている。

自由意思による選択とは何と厳しく厄介なものだろう。が、鉄の時代も終わろうとしている。

そもそもの自由意思の有無の論争の決着を待たず、人々は自由意思(或いは、らしきもの)を放棄する。

日々繰り返し流される交通事故の惨劇のニュース。天下、路上は誤りに充ちている。

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『人間を見つめる希望のAI論』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。