まえがき

最近は、人生百年も珍しくない。

版画家・篠田桃紅(1913–2021)や、詩人・まど みちお(1909–2014)の展覧会に行って感激し、また、聖路加国際病院の日野原重明(1911–2017)の本を愛読する。

さらに、私は全く知らない世界であったが、最近ファッションデザイナー・森英惠(1926–2022)についての放送を聞く。タイミングよい見事なデビューと、それを可能にしたご主人の応援に強い印象を受けた。

これらの人々は、野球でいうとホームランバッターである。一方、野球では四死球や内野安打でもいいからとにかく出塁し、盗塁を狙うという小技で生きる選手もいる。これらを仮に、長打型人間、単打型人間と名付けておこう。

本として世に出るのは、長打型人間の偉人伝ばかりである。単打型人間の凡人伝があってもいいではないか。

そして、かえってその方が、参考になることが多いのではないか。そのような思いから、単打型を自認する自分のこれまでの生き方を詳しく語ってみることにした。しばらくお付き合い願いたい。

野球の大谷翔平選手が、今年のWBCでの米国との決勝戦前の声出しで、「憧れるのはやめましょう」とチーム一同に言ったそうだ。これはまさに名言だ。

偉人伝ばかり読んで、憧れてばかりいては進歩はない。世の中は皆自分たちとはそれほど変わりはないという信念を持てるような本を読んでほしい。偉人に対して、生き方では引け目を感じないことである。その意味で凡人伝も存在価値があるだろう。

単打型人間では、自分の持っているものだけでは十分でないので、その人生は周りの人々とのやり取りで出来上がってくる。どのような学校で学んできたか、どのような職場で技能を習得してきたか、その間どのような先生の教えを受けてきたか、そしてまた、どのような上司や同僚、友人に恵まれたか。その意味でまず、私の個性が出来上がってきた過程を見直してみたい。

偶然、目の前に現れた多くの人々の網目の中で、私はいろいろなことを学び取ってきた。運命としか言いようのない出会いであった。私にとっては、この上ない財産である。

私は今八十二歳、日本生まれの日本人であるが、二十六歳から六十二歳までの三十六年近くを米国で過ごした。また国籍を、日本→米国→日本と変えた。

日米両国での人との付き合い方、子育てなど、ふだんはあまり他人には話していない日常茶飯事を文字に残そうと思った。何だ、この程度ならオレにもできると思ってほしい。そのための凡人の自分史である。