また、自分史というと、能動的な精神活動の結果として、学術研究や芸術活動が扱われることが多い。だが実は、受動的な意味で、異常な健康状態、すなわち病み煩いにどう対処してきたかということも、また重要であろう。その意味で、ここでは私が持病とどのように向き合ってきたかということもお話しすることにした。

さらに、病気になる前に健康状態を確認するための工夫、主に使っている測定器、時計、メガネなどの紹介もしよう。読みながら、一つ考えていただきたいことは、人生にとって節目になる出来事、例えば、学校や職業の選択・結婚・子育て・終活などで自分なりの工夫をし、また哲学を確立する努力である。

言い換えると、一貫した生き方の模索である。自分ならどうするかと考えながらお読みになっていただきたい。選択が必要になって結論を出す時、自信を持って前進する気構えで生きようではないか。

四十期と孔子の「論語」

人生は決して平坦ではない。小さい「山あり谷あり」の繰り返しに加えて、大きな流れのような「うねり」をも感じる。

昔の人はよく言ったものだと感心するが、インドのバラモン教やヒンズー教には、人生を四つの時期に分けて「四十期」という考えがあるという。

ある範囲の期間である四十期に対して、孔子の「論語」には、通過地点として、十年ごとに「吾十有五われじゅうゆうごにして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順うみみしたがう、七十にして心の欲する所に従えども、のりえず」という言葉があったと弟子たちは記す。

自分の場合、本当にそうだろうか。この二つの捉え方に沿って、まず私の人生をお話ししよう。