第1章 比叡山 焼き討ち 

九月十三日<比叡山大虐殺>

光秀

「者共、我らは上様の命により、明日未明に舟にて坂本に上陸。鉄砲を撃ち、坂本の家々に火を放ち、油断している荒法師や浅井・朝倉の兵を討ちながら、叡山に進撃する。手向かう者は容赦なく打ち捨てよ! 無腰で逃げる者や女子供に構うな、そ奴らは後詰めの兵士らが始末する。我等の任務は、一刻も早く叡山に籠っている荒法師や、浅井・朝倉の残党共を討ち滅ぼすことである。

儂と同じく、先鋒を命じられた木下殿は、先にからより叡山を登り、山頂から攻め下る手はずになっておる。刃向かう者なで斬りにせよ。逃げる奴らを、叡山の要塞である根本中堂や経堂に追い込み、建物に火をかけ焼いてしまえ! いざ進撃だ、法螺ほらを吹け!」

全軍

「オーッ! 進撃だー! エイ! エイ! エイ!」

勝家

「おー! 坂本と比叡山の建物に火の手が上がったぞー! 者共、荒法師や浅井・朝倉の敗残兵はもとより、坊主や女子供も容赦しない。全てなで斬りにしろ!」

兵士

「おー! かかれー! やれー! やれー!」

 

4.光秀大名に出世

九月二十日<岐阜城での軍議>

信長

「皆の者大義。山門(比叡山)を滅ぼしたのは、大義なき山門の者共自身である。天下のことも考えず、私利私欲を欲しいままにする坊主のどこに『王都鎮護』の大義があるか。

これで長年予の天下布武を妨げていた荒法師共や、叡山に籠った朝倉・浅井の残党共も滅び、ここ数年の皆の者の懸命な働きにより『天下布武』も大きく前進したと覚える。よって本日は、それぞれの働きに応じ、褒美を取らす。

此度の武功第一は明智光秀である。

この九月、叡山と山続きの宇佐山城を守る城主の森可成以下三百人が朝倉・浅井両軍に急襲された時は、我らも四面楚歌の状態で救援に行けず、残念ながら全員討死にをしてしまった。

しかし、光秀の機転で、光秀が将軍義昭公を説き、正親町天皇より朝倉との和睦の綸旨を戴けたのが功を奏し、我が軍は岐阜に戻り、体制を立て直すことができた。そして再び攻め上り、この度叡山に籠った浅井と朝倉の残党を攻め滅ぼすと同時に、叡山そのものを我が手中に収めることができた。

これは光秀の働きによることが大である。よって光秀に宇佐山城を含め坂本を中心に、近江・滋賀郡一帯を与える。なおこれを機に、光秀は幕臣を辞し、正式に織田家の家臣と致すこととする」