自転車が潜望鏡の視野に入ってきた。ほんのわずかだが道は下りなのだ。その辺からスピードがぐんと乗ってくるはずだ。あと十数えると自転車はロープのところに来る。

 

ぼくは潜望鏡を倒して息をつめ、腹這いになった。光るスポークが麦の間に見えた。ぼくは腰を浮かし、体重を全部後ろにかけるようにしてロープを引っ張った。杉の幹とぼくの手の間でロープは一直線に張られ、激しいショックが手に伝わった。握りしめている掌の中で肉を削り取るようにロープが滑るのがわかった。

女の子の身体は一度自転車の上に立ち上がり、ほうり投げられるように回転して道の上に落ちた。ぼくの周囲の時間は停止した。風の音も雲雀の声も全てが消えた。女の子は倒れたまま動かなかった。金髪が長く肩の上にかかっていた。

ぼくは茫然として麦畑の中に立っていた。感情が全部身体から抜け出してどこかへ行ってしまったような気持ちだった。やがて少しずつ膝が震え始めた。ふと女の子が顔を上げた。ぼく達は突然お互いに正面から顔を見つめ合う格好になった。ぼくは一目散に麦畑の中を逃げた。

 

そしていったん逃げ始めると恐怖はもう二倍にも三倍にも膨れ上がってくるのだった。さっきまでの元気はもうなかった。

今夜にもMP(米軍の憲兵)がやって来るだろう。両側からカービン銃を突きつけられてジープに乗せられるのだ。いつか来たあの通訳がついてきてぼくをどこかの島の収容所に送ると両親に説明するだろう。それとも占領軍に逆らった者の見せしめに公園の松の枝にぶらさげられるかもしれない。

その夜MPは来なかった。翌日も、翌々日も誰もやって来なかった。ぼくは学校にいても家にいても落ち着かず、思い切ってあの日以来通らないでいた麦畑の中の道へ行ってみた。怖いもの見たさという気持ちであった。重いエンジン音が遠くから聞えた。ガタガタというような音も響いてきた。近づくにしたがい大勢の人の話し声も聞こえてきた。音はロードローラーだった。