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第1章 小さな政府と[民活]――民事訴訟を促して社会問題を解決

現実に起こされたGEへのクラスアクション

クラスアクション、懲罰的損害賠償、証拠開示手続き、司法取引……。もし、福島原発事故が米国で起きていれば、これらの仕組みが一斉に働き、問題ある企業や人を排除していくでしょう。そうして米国は社会を健全に保つのです。

米国司法は非常に合理的で多くの問題を解決してきた一方で、使い方によっては理不尽な結果を生じせしめます。シミュレーションではなく、現実に起きた話です。

福島原発事故では多くの訴訟が起こされ、そこで真相が追究されていきました。政府による調査をはじめ、民間も含めて複数の調査が行われ、報道機関による取材などもあり、あらゆる面から新しい事実が次々と明らかになっていきました。

中でも早くから指摘されていたのが、福島第一原発の原子炉を設計し、製造、設置までの責任を負っていた(完成までの責任をメーカーが負う契約を〝フルターンキー契約〟という)GEが、以前から危険性を知っていたのではという疑問でした。

例えば事故直後の2011年3月15日、米国のABCニュースでは、1975年当時、GE社の技師であったデール・ブライデンボー氏は、

「マーク型原子炉(福島第一原発の沸騰水型原子炉マーク1型)では冷却装置が故障した場合、格納容器に動的負荷がかかることを勘案した設計が行われていない」

と上司に指摘したと報道されました。しかし、上司の答えは

「それを認めたらGEの原子力ビジネスは終わる」

だったそうです。

ブライデンボー氏は3人の仲間とともにGEを退社し、その後は米原子力規制委員会と協力しながらマーク型原発の廃止を訴え続けました。また、3月16日には、ブルームバーグは、米国原子力規制委員会(NRC)は20年前に

「GE社製マーク型原子炉は、地震被害により、高確率で冷却不全が起きる」

と警告しており、2004年6月に原子力安全保安院が公表した資料の中でも、その内容が紹介されていると報道しました。事故から3カ月後の2011年6月には、かつて国際原子力機関(IAEA)の事務次長だったブルーノ・ペロード氏が日本の産経新聞のインタビューに答えて、東電は

「20年前に電源や水源の多様化、原子炉格納容器と建屋の強化、水素爆発を防ぐための水素再結合器の設置などを助言されていたのに耳を貸さなかった」

と述べました。それに対する東電の返答は

「GEから対策の話が来ないので、不要と考えた」

とのことでした。