第2章 「独立自尊」

ヨセミテ公園での出会い

私がワシントン大学のロースクールで勉強していた時のことです。

アメリカ人の親友とヨセミテ公園を訪れました。公園の入口に大きな掲示板がありました。「森の動物にエサを与えないでください」。なるほど日本でもよくある掲示だな、慣れないものを食べさせると動物に害をもたらすということか、と思い読み進めていくと、意外な趣旨に驚きました。

「森の動物にエサを与えると動物は自ら餌をとるという努力を怠るようになり、人に餌をねだるようになります。自らの力で生きるという独立と、尊厳を失うようになるのです。皆さんは森の動物を乞食(Beggar)にしてもよいのですか!」。

アメリカ人の物の考え方を象徴するような文面でした。人に頼らずに自らの力で生き抜く、これが本当の自由というものであり、尊厳が生まれるということでしょう。

雇うのも雇われるのも自由意志(At Will)   ――誰にも頼らず自らの力で生き抜く

アメリカの従業員も森の動物と同じです。

任意雇用(Employment At Will)のもと、会社から与えられる特別の保障はありません。会社と従業員とは一対一の関係で、「従業員がいつでも辞められるのと同様、会社はいつでも従業員を辞めさせることができ、雇用の条件も会社と従業員の需給関係で自由に決められる」というものです。能力があり、まじめに働いていても、会社の都合で辞めさせられるときは辞めさせられます。  

このような厳しい自然界の掟の中で生き抜くため、従業員は注意深くマーケット調査を行い働く分野を特定、自らの商品価値をあげるために経験を積み、腕を磨きます。そこに自由が与えられ、尊厳がうまれるのです。

社会に個人の創意工夫が注ぎ込まれ、イノベーションが生まれる、つまり従業員は全員が起業家であり、需要と供給の中で大きなエネルギーとなって、社会の効率化が実現しているのです。このようなマーケットメカニズムの中で、サービスの受け手としての会社の需要とサービスを提供する側の従業員の供給の適切なバランスが保たれ、効率の良い社会が実現します。

日本的な感覚でいえば米国の従業員は全員、雇用の保証がない非正規社員です。

同様に、米国の企業はすべてブラック企業とも言えるでしょう。誰にも頼らず自らの力で生き抜いていくという精神、何もない米国大陸を自力で開拓し、英国の干渉をはねのけて独立した歴史を持つ米国ならではの価値観でしょう。

ここまでの説明で「ちょっと待てよ」と、違和感を持った方もいると思います。

米国では、雇用関連の訴訟が数多く起こされています。

「任意雇用」の下、雇うことも雇われることも、その条件も、当人たちの問題で、辞めさせるのも、辞めるのも自由であれば、訴訟など起こらないのではないか。そう思えるかもしれません。米国で雇用に関する訴訟が起こるのは、「任意雇用」を大原則としつつも、いくつかの例外があり、その例外をもとに訴訟が提起されるためです。

例外の代表が〝機会均等〟と〝違法な差別禁止〟です。「機会均等のもとでの自由競争」なくして、任意雇用は存在しえません。