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文章で世界万般を定義・表現しようとする哲学は、「究極の虚業」である。AI社会という将来に対し、現実的なAI 学者や法律家の悲観論に対し、哲学者は何とかなる・何とかできるとして、人間の力と言葉の力を信ずることができる「究極の楽観論者」でもある。

この三者の対談を見るとき、著名な哲学者の予見とはいえ、簡単には信じられない。

楽観タイプの人を私は大好きで、私自身も哲学大好き人間である。ただ、ホモサピエンスというこの地球上の生き物は、はたして哲学者のこんな楽観的な付託と期待に応えられる上等な生き物なのだろうか? ホモサピエンスは、支配層から庶民に至るまで、性善説では括れない結構「ワル」で「ズル」で「シタタカ」ある。庶民だからこころ優しいなんてとんでもない大嘘である。

将来、一握りの「AI様と支配層連合軍」に対し、バラバラの庶民はどう見ても分が悪いのだが、哲学者の多くは庶民の将来に空恐ろしいくらいに楽観的である。彼ら哲学者も単なるお人好しでもないし性善説にも立たないが、ワルでズルのホモサピエンスならなおさら、そんなバラ色の未来など来ないぞ、そりゃないだろう、そんな処方箋にはならないぞ、と思う。AI・支配層連合軍に対し分が悪く、庶民軍はどうも「家来」にさせられる運命にあるのではないか、と思えて仕方がないのである。

結論は簡単に出ない。今しばらく「ケセラセラ」でまいろうか。

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日本語には、連声(れんじょう)現象という、因縁(いんねん)観音(かんのん)等に現れる面白い言葉の現象がある。高校時代に学んだ言語面白学である。

普通に読めば、いんえん・かんおんであるはずだ。IN- EN、では、INに続く音が、NとEが連なりNE、ENが分離されNとなり、IN-NE─N(いんねん)と発音される。

KAN─ONも同様で、KAN-NO─N(かんのん)となる。

古代音韻、50音以外の発音、音便の不思議、私の興味と知識はせいぜいこの辺までであるが、もっと面白い言語学の話があるなら、是非とも本で読み聞きしたいものである。

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法哲学という分野がある(そうである)。法は、様々な政治的思惑が交差し妥協の上に成り立つもので、思索の延長上にあるものではないし、将来もあり得ない。従って、大上段に振りかぶり「思惑の法学」と「思索の哲学」の融合を唱えるのは、所詮ないものねだりであり、格好つけや言葉の遊戯に思えてならない。

哲学でも二律背反に苦労させられるのに、まして法という利害が絡む領域は、正義の哲学で切り込み、まとめ切れるものには思えない。いくら唱えても、利害集団が許さないからである。

法哲学者には申し訳ないが、一段下の「法社会学」に留めておくのが無難といえそうである。

【前回の記事を読む】人間が考え出した神様の「ある意味でのうさん臭さと後ろめたさ」のワケ