第一話 ハイティーン・ブギウギ ~青松純平の巻~

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参拝を終えると、俺は海を眺めたくなった。防潮堤(ぼうちょうてい)の緩やかな階段を上り、ベンチに腰を下ろす。目の前には遠浅の穏やかな海――周防灘が広がっていて、大潮(おおしお)の頃に潮が引くと広大な干潟(ひがた)が現れる。ここ浜の宮海岸では、毎年春になると潮干狩りが解禁となる。アサリが豊富に採れる人気スポットだ。

「アサリ、いっぱい採ったなー」

独りごちるや、子供の頃の記憶が蘇ってきた。

「あった!」

喜びのあまり興奮している。暇さえあれば友達と連れ立ってよく潮干狩りに出かけたものだ。浜の宮海岸で採れるアサリは身が厚く甘みがあった。

「アサリ、食いてー」

誰だ?

耳の奥に(から)みつくような低音の甘い声が聞こえ、顔を向けた。同じベンチの少し距離を置いたところにくたびれた黒いコートを着た中年男が座っている。俺は思い出に浸っていたせいか男の存在に気づかなかった。身体全体に悲哀のオーラみたいなものが漂っている。

男は白髪(しらが)じりの無精ひげを触ると、こちらをチラッと見た。俺はレイバンのサングラスをとった。目と目が合う。互いにしばし見つめる。

「私の顔に何か?」

男は言った。なんともいえない独特の甘い声に、俺は聞き覚えがあった。

「もしかして……マダムキラー?」

その瞬間、男は驚きの顔をした。

「……ウブ平?」

「純平だよ!」

(かん)(ぱつ)を入れずつっこんだ。少年時代に奥手だったことは認めるが、そのあだ名を好きになれなかった。ウブなのは女というものを知らなかっただけで、プロの人に筆下ろしをしてもらった後は大胆不敵になったと思っている。だからというわけでもないけれど、片思いの千香子をめとることができた。非情なコストカッターに任命されてもいとわなかった。

「悪いわるい。久しく本名で呼んだことないから忘れてたよ」

小学五年のときにひとつ年上の先輩に命名されて以来、中学を卒業するまで「ウブ平」と言われ続けた。先生からもあだ名で呼ばれていたし、無理もない。

「ホント、久しぶりだよなあ」

マダムキラーが懐かしそうに頬を(ゆる)める。

「成人式のときに一度会ったきりだろ」

マダムキラーこと、緑谷光司は椎田小学校の同級生だ。クラス替えをした小学五年のときに出会い、二人ともアイドルが好きだったことから意気投合。

子供のくせして大人の色気を感じさせる甘い声を持っていた光司は物思いにふけることが多く、また、高身長でどこか大人びている雰囲気を醸かもし出していることからクラスメイトのママさんたちに人気があった。授業参観日に光司が教科書を読んだり、何か発表するときは決まって、ママさんたちは恍惚(こうこつ)の表情を浮かべていた。