北満のシリウス

一九四五年八月 満州 ハルビン

街を誇らしげに闊歩する若い白系ロシア人女性達の髪型や服装のお洒落なこと! 一九三八年の時点では、本場パリは、まだ、ナチスに占領される前で、依然として、世界のファッション最先端の街だった。そのパリのモードは、一週間でハルビンに伝わると言われたものだ。

そして、極東の流行は、ハルビンから始まった。ロシア資本のチューリンデパートの一階には、欧米の有名ファッション雑誌が展示され、それを見ながら、チューリンお抱えの一流の仕立て屋達に最新のデザインの服を注文する。あらゆる民族の、流行に敏感な女性達が、美容室やチューリンデパートに詰めかけた。ハルもナツも、流行には鈍いほうだったが、街の女性達のファッションを見るのは楽しかった。

ハルにとって、八年前のときめきは、今も変わらなかった。おかげで、いまだに少女のような気持ちでいられた。恋愛には縁遠かったが、仕事はやりがいがあり、このままでも悪くないと思えるこの頃だった。

年頃のナツにとって、ときめく気持ちは姉以上だった。特に誰にも恋はしていなかったが、物語に出て来るような素敵な男性との出会いを夢見ながら学業に励んでいた。表現力の豊かな彼女は文章を書くのが好きで、作家になりたいとも考えていた。トルストイ、ドストエフスキー、チェーホフ、ゴーリキー……、ロシアは文学の盛んな国だ。

だが、無邪気なナツが夢中になったのは、夏目漱石の「坊ちゃん」、ペローの「シンデレラ」、グリム童話の「白雪姫」などだった。同級生の女の子達とは、理想の男性の話で良く盛り上がった。

八歳のアキオは、少し生意気になってきたが、それでも、まだまだ可愛く、四歳のフユは、何かと手間がかかるが、とっても愛らしかった。

この一年くらいの間に、食糧は配給制になり、知人の民間邦人男性の多くが、召集令状を受け、従軍していった。だから、徐々に不穏な空気を感じていたのだが、少なくともハルビンでは、内地のように空爆もなく、極端な食糧不足に苦しむこともなかったため、日本人の暮らしぶりは決して悪くはなかったのである。そして、全満州の二百万人近い民間日本人の多くは、無敵関東軍の連戦連勝のニュースを鵜呑みにして信じ込んでいた。

だが、その頃、北の国境線の向こうでは、百五十万のソ連軍が不気味な動きを見せていた。全ての在満民間日本人と同様、ハルたちは、想像さえしていなかった。

この幸せで平和な日常が、もうすぐ一瞬にして消えてしまうことを……。