北満のシリウス

一九四五年八月 満州 ハルビン

ハルビンの商業地区の中心部を南北に走るキタイスカヤの北のつきあたりには、雄大なスンガリー川が、ゆったりと流れ、町の人々の生活を優しく見守っているように見えた。このスンガリー川に、太陽島といわれる島があり、夏になると数多くの市民が船で渡り、「ダーチャ」と呼ばれるロシア人の別荘を借りて、避暑地として利用した。ハルビンの夏は決して長くはなかったが、皆、ここで日光浴をしたり、水と戯れたり、バレーボールをしたり、夏休みを存分に楽しんだ。

真冬は、零下三十度の厳しい寒さだったが、様々な行事の度にロシア人達の家庭に招かれ、ペチカ(ロシアの暖房設備)のある部屋で、にぎやかに雑談をしながら、大人数での食事会を楽しんだ。

春になると、街角にライラックの花が咲き乱れ、夏には、花売りが、街頭に立ってスズランを売っていた。

そして、郊外の彼方には、一年を通じて、北満のタイガと南満の荒野が広がっていた。

八年前、初めてハルビンに来た時、どうしようもなく胸がときめいたことをハルは覚えている。

だいたい、街の雰囲気が内地とは全く違う。街の道路は、どこもかしこもパリのように石畳が敷き詰められ、いたるところに見られるやはりパリを思わせる太い円柱型の広告塔。そこに貼られるロシア語のポスターは、毎週のように貼りかえられ、今週は、どんな催し物が見られるのか、ハルもナツもアキオもワクワクする期待に胸を膨らませながら、それらを覗き込んだものだ。

催し物は、様々だった。ハルビン交響楽団のコンサート、バレエ公演、オペラ公演、舞踏会、修道院が慈善目的に開催するバーベキュー、ワイエムシーエーが主催するドイツ人の子供達による可愛いお遊戯会、などなど。

そして、それらの催し物に参加しても、街を普通に歩いていても、日本人にあまり出会わない。

舞台に上がる楽団員やバレリーナも、修道女も皆、白系ロシア人だし、オペラ歌手もイタリア人だったりスペイン人だったりする。観客も、また、白系ロシア人を中心とした白人層が多く、その中にチラホラと東洋人の姿が見える。