【前回の記事を読む】「これは私の使命なのだ」じいじが孫たちのために残すものとは?

じいじになった私

きみたちへ

ここまで詫び状みたいなものを書くと、子供たちがこの本を読んでどう思うか。ほんのわずかでもいいが、分かってくれるかと淡い期待を持ちながら……。

しかし、無に帰するかもしれない。ただ、このように改める気持ちを持つきっかけになったのも孫たちであり我が子供たちである。孫が産まれたことが条件で、見られた貴重なもの。今後もどのように気持ちの変化が起きるのか、今や人生の土俵際まで来ると、逆に次には何を見せてもらえるのか、少し楽しみなところもあり、そのことで救われる気分にもなる。

これは気持ちに罪滅ぼし的なところがあるためかもしれない。開き直っているわけでもなく、子供たちから何を言われても忍として受け止めなければならない。ただ、どこまで子供や孫たちが読み込んでくれるかは、甚だ疑問が残るが、面白おかしく読んでくれれば、それでも良い。

人生は「禍福は糾える縄の如し」とは、一括りで良く言った言葉である。禍福は人とのかかわりの中で、生まれてくるものであり、かかわりこそ人生そのものでもある。君たちにはまだまだたくさんの人生の伸びしろがあり、そのために経験することも盛りだくさんである。

人生には人を理解することも、逆に理解されることも難しいところがある。自分の毎日変化する感情をコントロールしながら、他人様と付き合いを重ねることは、面倒なことが多い。しかし、謙虚な気持ちで接すれば何とかなる。

人生は決まりきった生き方は存在しない。生まれてきた以上は、その人なりの生き方があり、それはその人自身で決めるものである。そのためには、いろいろなことに挑戦し、経験することが大事なことと考えている。ぜひとも多くのことを体験してもらいたい。