【前回の記事を読む】妙に耳に心地良く響く「ピコッ!ピコッ!」懐かしい音の正体は…

じいじになった私

祖父に見た祖父像

明治四年生まれの祖父は、厳格な人でもあった。父親が早くに亡くなったため、長男夫婦と母が四世代大家族の生活を農業で支え、家庭内での家訓的な、特に子供たちの躾に関することなどは、祖父が担っていたように思う。

その一つが冒頭の「今晩は!!」である。

祖父は村議会議員を務めた後に、長い間町中(まちなか)の寺に住み込みで事務職を務めていた。その時は、寺の切り盛りをしながら住職に倣い、お経を唱えていたようである。そして隠居生活に入ってからは、夕食前に住まいの仏壇に必ず毎日お経を唱えてから食事をとっていた。

このことは仏門に携わる仕事をしていたことで、祖父の精神性に強く影響を与え毎日励行していたのかもしれない。極め付きは自分の子(父)が亡くなった時には、住まいの仏壇にまずお経を唱え、その後に母屋の仏壇に家族全員を集め、日々お経を唱えていた。

祖父の話を綴る時に外せない面白話を一つ紹介しておきたい。それは誰からかメロンをもらった時のことだ。

もらい物はどんな物であっても全て仏壇に上げ(まず、仏様に上げるの意)てから頂くようにしていた。この行為は祖父に倣って母屋でも同様にしていた。さてメロンだが、いつものように仏壇に供えてからお経をあげ、その後に頂く。