【前回の記事を読む】心臓の鼓動がシンクロする…初孫たちの誕生に感じた強い運命

じいじになった私

きみたちへ

また、以前に田舎の役場で除籍簿を取り、それをもとに家系図をパソコンで自作し、家族と親戚一同に配布したことも、何を残すかを探す意味で、ヒントになった。

そして、孫たちが大きくなって、社会人として踏み出してからでも「じいじが何か残してくれていたなぁ!」と振り返り、冊子を手に取って読んでもらえたら、それは至福感でいっぱいになることになるかもしれない。そんな気分も高まり始め原稿作りに向かった。

とはいっても何か参考になるほどの生き方をしてきたわけでもなく、あえて特別なことをしながら歩いてきたわけでもない。自信が持てないところで、書き連ねることは、子供や孫たちに読んでもらった時に、この程度のじいじだったの? と落胆させることにも。と、かすかな不安もよぎりだしてきた。

自分の貧弱この上ない容姿の背中でも、とりあえずは、見せられるものにしたい。それは、これまでの生き方にないもので、一歩を踏み出さないと、結局は孫たちに醜態だけを(さら)け出すことにもなる。このことだけは避けなければ、一緒の時間を生きている意味も価値もないと考え始めた。

このようなことは、孫たちが生まれる前は考えもしなかったことで、大地震と孫たちの誕生を結び合わせると、自分の人生の大きなターニングポイントになり、茫洋とした人生観だったものを変えなければならないと強く感じだしたことは確かだ。ただ、これまでのものを卓袱台返しのように、全てを取り換えるわけにいかないのは自明の理だ。

分かっていることは、この感情の高ぶりを冊子に仕上げることができれば、何かが見えてくるような気もしだしてきた。とりあえずは、紙面に落とさなければ話にならない。

とにかく、タケノコの節のように我が人生の一つの区切りとして、ハッキリさせるつもりで書き綴ることにした。そして、この節目の出来事を綴る時、私は孫たちが産まれたことでじいじに成り得たのであり、産まれなければタダのフケメン爺さんだったと気づいた。つまり孫の誕生と同時にじいじも誕生したことになる。これからの人生は、じいじとして胸を張れる老人道を歩かなければならない。

このことは先祖から与えられた私の使命なのだ。

それを再確認し、生まれ変わったような錯覚さえ覚えた。まさに人生観も変わった瞬間といえる。