じいじになった私

きみたちへ

不思議なことである。それは初孫たちが二人連れ? で、あの大震災(東日本大震災)の起きた年の3月11日を挟んで、2月27日に男の子が誕生し、3月27日に女の子が産まれてきた。男の子は長男の子供で、女の子は次女の子供。二人とも予定日より一月ほど早く産まれ、抱っこよりも両方の手で受け取れる、殆ど未熟児スタイルの孫たちだった。

まず、先に産まれた男の子であるが、当日は妻と一緒にかねてからの予定で出かけていたために、病院には長男が立ち会っていた。私たちは出かけ先でも初孫誕生のことが気になり、今か今かと長男からの連絡を待っていた。この時ほど待つ身の長さを感じたことはなかったが、待ちくたびれたその頃に、ようやく電話が鳴った。

「母子とも元気!」

長男の興奮気味の知らせを受け、直ぐに用事もそこそこに妻と病院に駆け付けた。そして、孫との初対面ができ、ホッとした表情の嫁さんに労いの言葉を掛けながら、初孫をそれぞれの親同士で抱き合った。早速、持参したカメラで孫の動きの一つひとつをカメラに収め、全員の家族の満面の笑みもしっかり収めた。

一方の次女の初産日には、妻も娘婿も仕事で立ち会えず、私が一人で付き添っていた。が、いよいよその時が近づくにつれ、間断なく襲ってくる陣痛に、必死にベッドで苦痛に耐えている娘の表情の傍で、何もできない私は、身の置き所に困ってしまっていた。

ただ、このような経験は、自分の子供でさえ三人もいながらただの一度も経験したこともなく、娘の時にまさか立ち会うようになるとは思いもしなかった。しかし、無事に産んでくれて、孫の誕生と同時に、この上なく喜びもひとしおだった。

その娘が産んだ女の子は、最初の頃は哺乳瓶の初乳も飲んでいるのかいないのか口元からは判断できない。目は開いていても体の動きが悪く、呼吸をしているのかさえも分からない。やっと生きているようなガラス越しに見るNICU(新生児特定集中治療室)でぐったり状態の孫だった。

ということで、見るたびにハラハラドキドキの毎日であったが、しかし、一緒にいた妻は特に動揺している様子もなく、気持ちに余裕の欠片もなくなっている自分の狼狽(うろた)えた状態とは裏腹に、平然としてにこやかな表情で孫を見つめていたことには驚いた。

その時の妻に感じたことは、三人も子供を産んだ母親の強さは、こんなものなのかと、改めて自分と妻との心の持ちようを孫の誕生で知ることになった。

また、我が子を産んだ娘の表情は、安ど感でスッキリした表情となり、自分の子供を抱きながら見る穏やかな眼差しは、既に母親のその顔になっていた。