儀狄(ぎてき)

「杜康」について語るとすれば、やはり同時代の「儀狄」にも登場願わねばなりません。酒を発明したのは「儀狄」で、「杜康」はそれを改良したという説もあるようです。

それがいったいいつの時代であったかというと、これが古代中国の「夏」王朝のことであったとあります。考古学では、古代中国で最も古い王朝は「殷」(紀元前十七世紀~紀元前十一世紀)であるとされています。「夏」はそれより前にあったとされる伝説上の王朝とされてきましたが、近年考古学的な発掘によって、その存在が確認されつつあるということです。

「儀狄」「杜康」の時代は、伝説といわれているその「夏」王朝時代のことになりますから、「酒」の起源は少なくとも殷王朝の前、紀元前十七世紀以前にさかのぼらなければならないということになります。

しかし、「儀狄」「杜康」の名が今日まで語り継がれているということは、やはり酒の存在がそこにあったからで、そうすれば酒の存在そのものが、「夏」王朝の実在を立証していることになるというのが、俄か考古学者(←私のことです)の説です。

その夏王朝の始祖・()(おう)に「儀狄」が酒を献上したとき、禹王は「人をして陶然とさせるこの美味なる飲み物によって、やがて国を滅ぼす者が出るであろう」と、つぶやいたとか。

有名な「酒池肉林」の故事は、殷の(ちゅう)(おう)の悪政を語ったものですが、禹王の予言を実証したのが後の世の紂王ということになるのでしょうか。

……う~む、壮大なロマンですな。それに「酒池肉林」というのも、何やら魅惑的な匂いが漂ってくるではありませんか。あっ、私としたことが……。話を本筋に戻しましょう。

今宵は「酒」を傾けながら、はるか昔、中国古代王朝の「夏」「殷」の時代に思いをはせてみるのも一興。しかし、殷の紂王のたとえもありますから、懸命に己を戒めているところです。

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